母乳

 

ラマダーン中のある日。

生後間もなく緊急入院した赤ちゃんが一人いた。呼吸状態も悪く感染症もあり非常に具合が悪い状態であった。希望があれば母親が付き添うことができるので、産後間もない母であったが付き添っていた。母は体調が悪いにも関わらず、子どものモニターに常に緊張し、神経が過敏になり情緒不安定で落ち着かない様子であった。前日の夜から入院したそうだが、今はラマダーン中。母は水だけは確保していたが、昼間になってもどこにも食べ物が売っていない。そのため温かいスープが飲みたいと、ややパニック状態となっている。医療者をみつけては詰め寄って「助けてくれ、助けてくれ」と言っていたが、みんな忙しいからと邪険にあしらう。

どうしてこんなにパニックになっているのだろうと思い、よくよく母に話を聞くと、母乳のでが悪く、こどもに母乳があげられず困っていたよう。母と一緒に搾乳するが、やはりおっぱいはカラカラで出てこない。家族の人に電話するが応答がなく買い物を頼むにも頼めず、母は絶望し号泣していた。これはやるしかないと思い、「私が代わりに買い物してきてもいい?」と主治医に聞くと、ありがとう仕方ないから買ってきてほしいと言われた。母から日本円にして500円を託され、外出の準備をし、出発前に師長に報告すると、なんてこった。

「だめだめ、なんてこと!そんなの看護師の仕事ではない。家族にやらせなさい。家族がだめなら、粉ミルクを飲ませればいいでしょ。今日、君は病棟のここの区域から出ないで働きなさい。」と怒られてしまった。非常に悔しいが仕方ない。母に謝り500円を返却し、主治医に行けなかったと伝えると無言で頷いて私の肩に手を置いた。

私は看護師である以前に一人の人間である。外国人の私にできることは限られるが、お店で買い物をしてくることで、母の母乳が出るようになり、母自身の精神が安定するならそんなに容易いケアはない。しかし、きっちり分業で縦割り社会のモロッコではそんなことは通用しなかった。仕方ないことはたくさんある。

私は、仕事において困り悩んだ時に、どうすれば赤ちゃんと家族のためになるかを考える。そうすると必然的に新人時代にお世話になった大先輩の顔を思い浮かぶ。そして、彼女だったらなんていうだろうかと考える。もし、そのシチュエーションで私が彼女に相談したら恐らく「仕方ない、お前がそう考えるなら行ってこい!」と送り出してくれただろう。私にとって看護の母のような人である。

日本で勤めていたころ、退院のめどのたたない患者の家族が、お食い初めをしたいと言ってきたことがあった。当たり前だが、そんな我儘を一人聞いたら、ほかの家族も我儘を言い出すし大変なことになると大反対される。本人に食べさせないにしても、食べ物を病棟に持ち込むなんて衛生管理、感染管理上、厳禁である。個室を使用する、時間を決める、ほかの家族には絶対に知られないようにする、私の出勤日に行うなどの措置をとり、上司を説得するとあきれられた。周りの同僚にも相当あきれられ、当然私を白い目でみた。看護師は医療ケアを行うために仕事をしている。ただでさえ忙しいのに、もしそんなことをしている間にほかの患者が具合を悪くしたらどうするんだと。その意見はとてもよくわかる。でも、その子と家族にとって一生に一度のイベントであるからどうしても行ってあげたいと訴え、なんとか上司の許可をとりつけた。

しかし、予定をたてた当日の朝、出勤すると子どもがいない。夜間に不整脈を出して集中治療室へ移動し結果としてお食い初めはできなかった。それで良かったのかもしれないし、悪かったのかもしれない。その子はしばらくして元気になり病棟に帰ってきた。病棟内では「お食い初め事件」としてたまにスタッフに思い出されており、病棟内で話のネタとしてたまに使われているらしい。その話を聞いた新人が「そんな先輩がいたんだ、その人よりも私のほうがまだましだ」と、辛い新人時代を乗り切れるなら、私にとってはありがたい限り。私は新人時代、先輩たちに怒られない日は無かったし、仕事をこなす容量も悪く、非常に足手まといで迷惑ばかりかけた。それでも見放すことなく面倒を見てくれて、いまだに私の話をする先輩たちのことを思うと、それなりに私は愛されていたのかもしれない。

日本で担当した子どもたちは、元気にしているだろうか。歩いてるかな、しゃべっているかなと、大きくなった姿を勝手に想像してみる。小児看護独特の感覚だが、誰のことも出産していないが、私にとってはみんな可愛い我が子。重症だった子はもうずいぶん亡くなってしまった。看護師歴8年目の私は、新人の時に小さい赤ちゃんだった子がランドセルを背負った小2になっている。お母さんも新米ママが肝っ玉母さんになっている。子どもたちと一緒に私も沢山勉強させていただいた。

 

提案したり何かを訴えても、現実はそう簡単に物事が進まないし、変わらない。

それでもきっと何もしないよりはいいはずだとポジティブに考えてみる。

 

ラマダーン中の朝食(イフトール)をレストランで頼むとこんな感じです。

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続く。