10年

首都でのオリエンテーションがあったため、地方に派遣されていた同期隊員たちが首都に帰ってきて、先輩隊員たちも集まり日本人にまみれた3日間であった。

地方に派遣された隊員たち曰く、首都の気候は気温も過ごしやすく、モロッカンも他の地方より外国人に親切で品のある?お行儀のよい?らしい。みんなが首都配属の私を羨ましがる。確かに、町の中で困っていると誰かしらフランス語や英語で話しかけてくれる。地方では、外国人というだけですうきの眼差しを受けることもあるそうで、イスラム圏独特の雰囲気がより強くなるらしい。

近頃の悩みと言えば、仕事をどれくらい頑張ればいいのかわからない。何が正しいのかもよくわからない。全てにおいて正解はない。スケジュール管理から、職場とのやり取り、基本的には全てを自分で管理していく。勿論、事務所も助言やアドバイスなどをくれるが、彼らはもともと医療職種での派遣ではないため限界もある。活動内容や活動場所によりそれぞれ千差万別。だから仕事に対して悩みがあったとしても、一概に同じ職種の先輩に相談すればいいというわけにもいかず、先輩の話を聞きたいときもあれば、正直何も聞きたくないと思う時もある。

そんな悶々とした生活の中、2年間の任期を満了し帰国される隊員たちの活動報告会があった。 それぞれの任地でそれぞれの苦悩と苦労を抱えて2年の活動を終えて日本に帰っていくようだ。誰の口からも聞かれた共通の言葉として「2年間はあっという間であった。」「1年目と2年目は全然違った。」「モロッコにはまたいつか帰ってきたい。」「感謝する。」とのことであった。

私自身はまだ2か月しか経っておらず、帰国まであと何日と毎日カウントダウンしながら生活している。あっという間だなんてとても信じられない。2年間が終わればよかったと思うのか、またはよかったと思わないと苦しみが報われないから無意識に美化されてしまうのだろうか。2年かけて、ボランティアの活動と心理的変化について自分を客観的に洞察していきたい。

報告会の話を聞いて、今まで自分の認識が間違っていたことに気が付いた。外国人の看護師が一人入ったところで病院はそう簡単に変わらないということはよくわかっていたが、それでも、私は2年間で何ができるのか?どうしたらモロッカンの考え方や行動が変わるだろうか?と必死に考えていた。仕事ではないけれどもそれなりの責任をもって活動を行っていきたいし、何かしらの成果を残さないといけない気がしていた。でも報告会の話を聞いて2年間では無理であることがよく理解できたので、成果主義の呪縛から解放されて楽になれた。

そこに至るに一人の先輩隊員の報告があった。母子保健分野で一つの任地に10年間代々隊員が活動を展開し、ようやく形となったため今回でそこでのボランティアは最後となり、これからはモロッカンだけで活動を行っていくとのこと。その先輩隊員は報告の中でしきりに、今までの先輩隊員が作り上げてきたモロッカンとの関係や痕跡を日々感じて活動を行ってきたと言っていた。母子保健分野にはJICAの専門家と保健省で一緒にプロジェクトをくみ活動を行ってきた。10年かけてやっと形になるのだ。

私の活動場所は初代先輩隊員が活動し、今年で2代目で3年目。しかも専門家は日本へ帰ってしまっている。10年というスパンで考えると、まだモロッカンと日本人という関係を作っていく時期であり、私は犠牲バントを打つ役割であろう。長いスパンにおける自分の役割が明確に理解できたら少しやりやすくなる気がする。現場には、やる気のある学生も若い看護師もいる。大きなことはできないけれども、せめてモロッカンが日本人を受け入れられるように、次に繋げられるように。

 

10年後、20年後、今いる若者たちが、ベテランになったときに少しでも質の高いケアを赤ちゃんと家族に提供できるモロッコをイメージしてみる。

そのために何が必要か自分に何ができるのか考えてみる。

 

 

とある日に食べたクスクス。ラマダーン中は、昼ご飯食べられないため、クスクスが食べられない。レストランは夜までクローズなのである。もちろん需要がないから。気が付けば、もう1か月もクスクスを食べていないではないか‼

切実にクスクスが食べたい…クスクス…クスクス…

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続く。