道徳…何が正しいか?!
モロッコの小学校では一応道徳の科目があるが、教員の知識がなく道徳の授業を行うことができなかったり、勝手に他の教科に変えている現実があるらしい...
それゆえか否か不明だが、モロッカンは相手の立場にたって考えたり、背景を憶測することや見通しを立てたり、自分の非を認めて謝ったり、失敗から反省し改善策を生み出すなどの作業が苦手なように見受ける。
病院内では、医療者が患者家族に横柄な態度をとることをよく目にする。先輩がふんぞり返り横柄な態度をとることにより、後輩はそれがカッコいいと思っているのではないかという個人的な疑惑もある。若手で仕事熱心、頑張り屋の医者なのに、患者の家族が医師に質問すると、医師は冷たく「だめだ」と言った。私は一部始終を聞いていたがだめな理由がわからず、赤ちゃんの健康のために家族の意見に賛同し、元々医師と少し雑談などを話せる仲であるため、医師に「どうしてダメなんだ、そのほうが健康のためによいと私は思う」と伝えてみると、少し恥ずかしそうな気まずそうな顔をして、「まあやってもいいけどでも…でもだめ」と言って去っていった。一度ダメと言った手前、医師のプライドを守るためいいよとは言えないようだ。
誰に対しても横柄な人もいる。家族もその横柄なスタッフに怯えている。学生を奴隷のようにあれやれこれやれと指図し、面会の家族にも大概怒鳴り散らしている。気の弱い学生はそのスタッフが怖くて質問できず恐る恐るケアしている。未来の病院を担う若者が学んでいるのに、本当に可哀想だ。ある程度ベテラン域のスタッフだからか誰もそのスタッフを咎めない。他のスタッフもそれがよくないと気づいていながら黙っている様子。恐らくその横柄な態度をとってしまうスタッフ自身も闇を抱えて苦しんでいるのだろう。心が満たされず寂しく孤独なんだろう。心の貧困。そのスタッフを助けたいと思うが2年間しかおらず外国人である私には彼女が私を受け入れることさえ難しいかもしれない。
一方ではとても人懐っこく親切で世話好きなスタッフもいる。学生に「おい。おいで!みててごらん!こうするといいんだよ!これが赤ちゃんへのケアだよ!」とあれこれ見学させて教えている人。また、ラマダーンのイフトール(日中食べられないため、日没後に頂く朝食の意)を食べに行ったときには、自分の分だけでなく同じ夜勤のメンバーに一人ずつお惣菜を配って「さあお食べ、お食べ!」と言う人。また、私の顔をみるといつも「おい!元気か!調子はどうだい?」といいニコっとしてくれるスタッフも沢山いる。突然現れ在籍たった1か月のよくわからない外国人でありムスリムでもなく言葉もいまいち通じない外国人の私に対して、彼らは親切にするのだ。勿論、外国人だからと偏見の眼差しを感じることも言葉が通じないからとちょっとした意地悪されることもあるが、私は相当恵まれているのだろう。きっともっとこの環境に感謝しなくてはならないはずだと自分を戒める。
日本にも横柄な人も親切な人もいる。それはきっと割合もモロッコも日本も大体一緒なんだろう。モロッカンの些細な親切さも少しの意地悪も、どちらも外国人の私は感度が大きくなっている。
私はまだ首都しか滞在経験がないため、地方のことはよくわからないが、モロッコに必要な最低限の物はちゃんと揃っている。滞在2ヶ月経過したが残念ながら現時点で、誰一人として物を大切に扱っているモロッカンに出会ったことがない。大体使い方が乱暴ですぐ壊す。そして壊れたものを直せるところは姑息的に直すが、病院の中で手に負えない人工呼吸器などは人任せに倉庫に放り込み、おしまい。倉庫の中身はぐちゃぐちゃで何が使えて何が使えないのか全くわからない。恐らく誰も知らない。そのまま少しずつ埃をかぶって汚れていくのをただ倉庫で待つ機械たち。
もし、それらをちゃんとメンテナンスすれば、機械を買うお金のコストダウンになるし、そのぶん清潔を守るために必要な道具を買うことができるのに…そうすれば、感染が少なくなり、入院日数が短くなり、スタッフの労力は結果として減るのに…
はたから見るとそのように思うのだか、ここしか見たことのないモロッカンにとっては、目の前に広がる世界が常識である、私の感覚は理解することは難しいかもしれない…
なぜ手を拭くタオルがある部屋とない部屋があるの?と質問したら「それは買うお金がないからよ。」と一人の看護師が言っていた。
また、私の配属された病院は公立であり、医療費は無料らしい。モロッコは貧富の差が大きく、当たり前だが日本のような生活保護などもない。裕福な人は本当に相当のお金持ちだそうで、彼らは私立のクリニックに行き、「公立の病院なんて恐ろしくてかかれない。」というそうです。
私は、自分の配属された病院がそのように言われることに対して悔しいと思うし、自分のいる病院をモロッコで一番の病院にしたいと思うが、働いているスタッフたちのやる気も 100人100様。それでもいい。ただ、業務のスキルやケアの基準の最低限のラインがないのだろう私には業務の基準となるものが見えない。
日本では当たり前であるお客さんや患者や家族に対しするホスピタリティや、生活の中で物を大切に取り扱うことが良いことだという日本の習慣、文化、道徳に対して、日本にいるときには全く気づかなかった。日本の常識は学校の基礎教育においても、しっかりと植え付けられていたということを改めて実感する。人の嫌がることをしてはいけない。悪いことをしたら素直に謝る。相手の気持ちを考える、などなど。
モロッコの学校で教えていることと日本の学校で教えていることの違いも、二か国の道徳観の違いへの影響は多少あるだろう。
モロッコにいる先輩が「そのような日本人の当たり前の文化や習慣はどのように出来上がっていったんだろうか?初めからあったわけではなかっただろう。お母さんから聞いて、そのまたお母さんがそのお母さんから…いつからはじまったの?」と言っていた。
確かに昔は、患者対医療者の関係だって酷いもので、医療者が患者をしかりつけていた時代もあったらしい。しかし、いつのまにかホスピタリティが浸透し、患者の権利が守られるシステムが出来上がり、患者が声をあげやすい状態になった。物を大切にすることが良いことだと誰が言い始めたのか…私にはわからない。
ただ、子どもの頃、両親に「物は大事にしなさい。そのおもちゃが壊れたって、あなたの遊び方が悪かったから壊れたのよ。だから新しいのは買わないよ。」と言われた記憶もある。私の祖母は、戦時中・戦後の物のない時代を必死で生きてきた世代。どんな包み紙や包装紙、段ボールさえ捨てずにそれらを使って、かごや入れ物などをつくり楽しんでいる。「昔は物がなかったから…今は捨てるほどあるっていうけど、どうしてもやっぱりその時の記憶があるから物を簡単には捨てられないのよ」と口癖のように言う。そんな私はファストファッションがあまり好きでない。若気の至りで流行を追った時期もあったが、今は本当に気に入り心がときめいた物だけを買う。
私のファッションセンスの良し悪しについての議論は…さておき‼
国民性や道徳的な規範は、それぞれの環境や生活習慣の繰り返しの中で無言に出来上がりそれがいつの間にか常識となっていくようだ。モロッコに来てからのほうが、よほど日本人や日本について真面目に考えている。日々勉強である。
ちょっとした観光地でありデートスポットであるハッサン。
続く。