お金の話
モロッコでは、ディラハム(dh)という単位の通貨が使われている。
便宜上1dh(=10円程度)と換算して生活をしている。細かく計算するともう少しレートは異なるけれども。私の金銭感覚として、50dh以上は少し高いな…月に何度もないが100dh以上の時は相当気合を入れてお金を払うという具合になっている。日本よりも物価が安いためモロッコでは一食500円も払えばだいぶゴージャスな食事が頂ける。到着してから数週間はこの値段でこんなに沢山のご飯が食べられるなんて最高だ!!と思った。しかし、物価が安い分生活支給費も少ないため、ある程度切り詰めて生活していく必要がある。今となっては一食200円出すのも高いな…と思うようになった。必然的に自炊をするようになり、今となっては料理することが楽しくなっている今日この頃。もともと日本で仕事をしていたころは頻繁にお酒を飲みに行っていたため外食ばかりだった分、新たな趣味が料理となり新鮮である。料理についてはまたの機会に。
ここでは、野菜もフルーツもお肉もほとんど加工品以外の食料は、dh/kgで売っており、お客さんが物を選んでから軽量し、その値段が決まる。自分自身で食材を手に取り、触れて匂いを嗅いで見て鮮度を確認してから購入する。勿論、ジャガイモやネギはまだ土まみれ。食料の買い物はモロッコではとても楽しい。
大概のものが日本よりも安いこの国で、日本と比較してモロッコのほうが高いものが稀にある。コレがこの値段?と驚くものには私の中で共通点がある。
とても単純で、日本の100円ショップに売っているものはだいたい日本のほうが安いことが多い。日本じゃこんなにお金払わなくても買えるのに、泣く泣く現地購入ものは、ノート、調理用まな板であった。私の中でまな板は本当に贅沢品だ。料理のモチベーションを上げるべく買った。そのぶんマスカラのお化粧をしばらくお休みすることで自分の中で折り合いをつけた。実に日本の100円ショップは本当に偉大である。出国前に色々と買いだしで大変お世話になったものだ。
青年海外協力隊の精神として、「現地の人々と生活を共にしながら活動を行うことで…」という決まり文句があり、なるべく現地の人々と生活を共にしながら活動を行うことで友好親善を図るという狙いがある。
また一方では、安全対策という名目で生活する家は頑丈な物件を借りるようにとあれこれ細かい指示が入る。そのような指示はここだけなのかよくわからないが、実際に私は首都の中の比較的お金持ちの人が住む地域のアパートと借りている。日本でいう銀座か表参道辺りにあたるだろうか…実際に事務所の人は、あるストリートを銀座通りと呼んでいた。日本では絶対に住めないし、住みたいとは思わないだろう。実際に今まで私が住んだどの家よりも豪華で広い家に住んでいる。
ここに矛盾と葛藤がうまれる。
そのため、国籍は?名前は?の次に聞かれる常套句の「どこに住んでるの?」という質問に住んでいる地域を答えると大体の人は「あ~そうなのね~(やっぱり外国人はお金持ちなのね…)」という偏見と蔑んだ視線の返事を頂くこととなる。とても気分が悪いので「事務所がセキュリティの関係でそこに住めと言われているんだ!」と伝えるとそんなに悪い顔をされないということを最近学んだ。私だってもっと庶民派のモロッコの家に住みたかった。でも、セキュリティと職場の位置関係を考慮すると残念ながら致し方なかった。日本に住んでいた時は、独り身だし家ではお風呂に入って寝るくらいしか時間を過ごさないため、自分の荷物が安全に保管できて最低限の生活できればよいという境地に至り、某沿線の小さくとても年季の入ったアパートを3万3千円という家賃で借りて暮らしていた。そんな私は、モロッカンにお金持ちで鼻にかけていると思われたくない。でも、もしかすると実際に私はお金持ちの外国人なのかもしれない。
例え何年モロッコに暮らしたとしても私の顔はアジア人だし、永遠に外国人。そして、どんなにモロッコを愛したとしても、お金に困っている人にとっては、お金巻き上げるためのカモとして犯罪のターゲットに大抜擢される可能性を秘めているのだ。
たぶんほかの地域で奮闘している仲間の隊員たちも多かれ少なかれ私と同じような悩みを抱えているのだろう。きっと二年間この悩みは尽きないだろう。
話は変わるが、道端にはよく小さい子どもを連れた親子や障がい者、年配者の方が、「お金を下さい」と、いわゆる物乞いをしている。でも、彼らは夜になるとどこかへ消えていく。そして、朝になるとどこからか現れて店支度をしている。どうやら彼らはどこからか出勤しどこかへ帰宅している。お家はあるが定職がないのだろう。彼らは外国人である私に対してアラビア語で「1dhくれないか?」と言ってくる。多くのモロッカンは外国人に初めフランス語で話しかけるが、彼らはフランス語を話せないことが多い。恐らく学校を中退しているのだろう。貧困が連鎖している。また、旦那さんから突然離婚を突き付けられて、シングルマザーになるケースもあるらしい。この国ではシングルマザーへの偏見も大きく、子どもを抱えた女性が仕事を見つけることは難しく、路頭に迷うことを余儀なくされる人も多いらしい。モロッカンはとにかく格好つけたがるため、お金をくれてやるのがいい男ってやつだぜ‼と言わんばかりに、スーツを着た男性などはよくお金を恵んでいる。また、コーランの中に喜捨という教えもあり、貧しい人には施しをという考えが定着している。
以前、私は物乞いがどれくらい稼いでいるのだろうと疑問に思い、物乞いが多くいる道で観察をしてみた。たまたま私が見たタイミングが良かったんだと信じたいが、10分くらいのあいだに30円程度施しを受けている人がいた。それは安いパンが2~3個買える金額である。私は驚愕して10分でその観察を辞めてしまった。真面目に働くのがばかばかしいと思ってしまいたくもなる。だからこそ定職に就くために真剣に勉強したりスキルを身につけたりしなくても、楽してお金を得られるからいいやと考えているのかもしれない。また、真偽の程はわからないが、一部の情報によると、彼らの物乞いは組織立ち行われており、元締めの人がいるとかなんとか…という話を聞いた。
私は本当にモロッコは一見観光などでも収益もあるしそれなりに発展しているように見えるけど、実際に生活していると課題が山積している国だなぁと思う。だが、先日職場の同僚の若い子に「モロッコはとてもお金のあって発展してるけど、日本はどうなの?モロッコよりもお金ないんでしょ?」と聞かれた。モロッカンの多くは他国と比較してモロッコが一番いいと思っているし、自国が他国から技術協力で援助されているということを知らない。だぶんそんなこと知らないほうが幸せなのかもしれない。私にはそのモロッカンの自信がどこから湧き出てくるのかわからないが、きっとどこかですりこまれた信念であり、またそれも文化なのだろう。
元々プライドの高いモロッカンに対して、どうやって答えたら良いのか正解が出せずずっと私は悩んでいる。
続く。