祖父

少し前に祖父が亡くなった。

 

随分前から体調が悪く入退院を繰り返していたので、私が出発する前に彼にいってくるとあいさつしたとき、心の中ではたぶんもう会えないかもしれない、と思っていた。いつも通り、玄関でバイバイして握手して、祖母だけが家の外まで出てきて見送ってくれた。

 

私は幸いなことに、日本で働いていた7年程度の間、自分の勤務中に人を看取ったことがなかった。(ERで顔なじみの子がなくなって会いに行ったり、他の病棟で担当していた子が亡くなって会いに行ったことはあった)

そして、近親者の死を体験したこともなく、祖父母4人そろって健在だった。

 

そのため、私にとって初めて肉親を亡くす体験。

生きる死ぬに携わる仕事をしているし、死について、サラリーマンやOLよりは考えることも多かったのだろうが、やはりそれは仕事であったんだということを痛感した。

今までの死はいつもどこか他人事であったことがわかった。

 

ロッコに来てからも沢山の赤ちゃんを看取った。撫でている頭が手が足が少しずつ冷たくなって、皮膚の色が変わっていった。

その子たちの死と自分の祖父の死の重みは同じであるようで、同じでなかった。でも、同じだと仕事できない。でも、違うとは断じて言えない。

 

子どもの頃、近所一のガキ大将。中学を出て、布団屋さんで住込みで仕事した。途中からやはり勉強して高校に行きたいと、仕事しながら夜間中学へ入学し、卒業。仕事場で祖母と出会って、よく二人で山登りしたそう。

布団づくりひとすじで、子どもたちを育てあげ、長男ということもあり、両親の介護も祖母と一緒に長年にわたりおこなった。

子育てと介護から手が離れると、今度は、老人大学へ入学し、仲間と一緒にスポーツして身体を動かしていた。いつも楽しそうに話をしてくれていた。

昭和の気難しい人で本当に忍耐強く努力する人であった。いろんなことに耳を澄ませて、なにごとも興味をもって勉強して、何か会を開くとなると、どうしてもマイクを握らされてしまう、仕切り屋さん。

 

最後に会えなかったし、葬式にも出れなかったけど、悔いはない。

「好きなことできるうちに好きなことをしなさい。○○(私)さんが幸せなら、俺たちもしあわせだからさぁ。」といってくれた。きっとおいどうして葬式に帰ってこなかったんだって怒らないだろう。

私なりにモロッコから別れをして、気持ちの整理もした。

 

人の人生なんてなんて短いんだろう、あっという間に時間は過ぎてしまう。きっと自分が幸せだからこんなにもあっという間と思ってしまうのだろう。ありがたいこと。

自分の親もいつか死ぬし、自分も自分の大切な人たちも、みな平等にいつか死ぬ。

でも、いつかはわからない。

 

続く。