凄惨な一日。
ご無沙汰しています。
私はとても元気なのですが、このブログを書く意味がいまいちわからなくなり、また、日本語をタイピングしてるとフランス語やアラビア語がそのぶん抜けていく気もして、しばらく休憩していました。
先日、
緊急入院で搬送されてきた子がしばらくほったらかしにされており、流石に黙ってられず、近くで携帯をいじっていた医者に「早く入院受けをしてくれ」と言うと、
医者は「私は担当じゃないから違う、担当は今出て行った」と言った。
私が「医者の仕事は病人をケアすることだから、担当じゃなくても目の前に病人がいたら仕事しろ」と怒り、(しかも私はたまたまその一件の前に、担当の医者が携帯をいじっていた医者に、『私忙しいから手伝って』、とお願いしひと悶着起こしていたのをみていた)等もろもろ伝えると医者は病棟から出て行こうとする。
近くに他の医者はおらず、その人が対応するしかないがにっちもさっちもいかない。
職場のモロッコ人たちの判断は、ブチギレル私が悪者だと。
看護長や教授と話すが、全く私の話を聞いてはもらえず、モロッコ人からの言い分しか聞かない。もうここは終わりだとやっと納得し、潔く一年半務めた小児病院を辞めた。そして、近くの産科病院に異動した。こちらがどんなに頑張っても向こうが向こうでは仕方ない。正直、残念だとも思わない最後であった。
※※これから先、日本で暮らす人々にとっては、ずいぶんと凄惨なエピソードの記載があります。※※
医療者でない方、妊娠中の方などは閲覧しないことを勧めます。
新しく移動した産科病院はこじんまりとした病院で、日本に研修に行った幹部クラスのスタッフが数名いて、好意的に受け入れてくれる。私に会うと毎回「おはようございます」と言ってくるスタッフまでいて、前院とのギャップに戸惑うばかりであった。
ラベリングこそされていないものの棚は整頓され(ラベリングしなくても本人たちの中でこれはこことわかってるよう)、使用前後にカートはまっさらな状態にされ、カルテも番号順に並べ、お互いにカルテの記載漏れなどを指摘しあう職場。看護長はみなから信頼され、スタッフも看護長のことをファーストネームで呼ばれていた。一言でいえば雰囲気のいい、人間関係の良い職場。近くの病院だが、こんなにちがうのかといい意味で驚くことが多かった。
私は毎日、褥婦さんたちと話しながら赤ちゃんの様子をみて周り、授乳のお手伝いをしたりして過ごしている。スタッフへはあまりこちらからこうした方がいいとかこうやってとか指図してアプローチしても変わらないので、私の態度で示すようにしている。
よく貧血で褥婦さんが倒れたり、なぜか面会に来たお父さんが低血糖で倒れたり(朝食を食べずに面会に来たと)、モロッコでは日常茶飯事。
日本人から見たら大体オーバーなリアクション。だから、ちょっとやそっとの人の叫び声をきいても、また喧嘩でもしてるか何かあったのかなと思う程度。
ある日、その叫び声が聞こえたとき、
またこれで野次馬しても仕方ないとそのまま授乳のお手伝いをしていた。分娩後の初授乳ながら赤ちゃんもなかなかガッツのある子で、母乳分泌はまだわずかだが上手におっぱいを飲めていた。授乳の手伝いを終えて、病室の廊下を歩いていると。
清掃員の女の子が、「こーきー(私)!!」と、酸素の濃度の悪そうな真っ黒になった赤ちゃんをかかえて病室からダッシュしてくる。
さっきの叫び声はこれだったのかと反省し、すぐ椅子に寝かせて、末梢も冷たくぐったり、息もない脈もない。心臓マッサージしていると「分娩室に酸素があるからつれてけ~」と言われ赤ちゃんを連れて行く。
いままで君は入っちゃダメと言われていた分娩室に初めて入ると、酸素もインファントウォーマーも整っていた、酸素マスクもちゃんと酸素ボンベについていた。分娩室の看護師が酸素マスクを与え、心臓マッサージ続行。聴診器をもってきて、聴診すると心音、呼吸音ともに良好。徐々に体の酸素濃度が回復し顔色にピンクが戻る。モニターはないのかと聞くがさすがにモニターはないそう。ひとまず安心。
急を知った医者たちがごっそりと訪れ、やれ点滴だチューブだと言い出したので、あとは医者に任せて、お母さんの元に「もどったよ」と言いに行く。
すると、泣き叫ぶ母たちが複数名、これじゃみんなパニックで誰の子なのかわからない。あの子は誰の子か?と叫ぶと、あの子は私の子と申し出てくる。
同じ病室で赤ちゃんが急変したから産後の母たちには非常にショッキング。
分娩室に戻るとスタッフから、「この子はワクチンで具合悪くなった」と聞いた。さっきまで真っ黒だった子は医者たちに気管内挿管され末梢点滴もトライ中、顔色も良好。なんとかなりそうだと思った。
もう一度病室に戻り、母に大丈夫だ回復したからと伝えに行く。それにしても、他の母たちも明らかに様子がおかしい。まるでわが子が瀕死になったかのような取り乱しようにみえる。同じ病室の子どもが急変したのを目の当たりにしてショックを受けているにしてはちょっと度がすぎる。
よくみると8人ベッドのうち5ベッドの赤ちゃんがいない。赤ちゃんどこ行ったの?と聞くが知らないという。私はようやくただごとでないことにきづいた。よくよく母たちに聞くと「注射していなくなった」と言い泣き叫んでいる。
分娩室のスタッフに母たちに説明してくれとお願いする。分娩室のスタッフはすぐ来てくれた。
そして、「みんな、話をちゃんときいてくれ。今子どもたちは私たちが治療している、どうか私の神があなたを助けることを祈ってる。だから話をちゃんと聞いてくれ。どうか神に祈って待っててほしい。子どもたちは今ケアしている。神が望むまで待っててほしい。私の神があなたを助けることを祈ってる、どうか祈っていてほしい。」と説明。ここにいない赤ちゃんもみんな急変してることを知る。
説明後、更にパニックで泣き崩れる母たち、ただでさえ産褥期でホルモンバランス崩れてるのに、もうこの世の終わりの有様。
母たちだけでは危ないので、部屋で母たちをなだめ、涙を拭わせ、水を飲ませ、息を整えさせ、神が望むことを祈ろうと伝える。母同志で、あんたしっかりしなさいとお互いを鼓舞して支え合う。「今日退院で家に帰れると思って、私はとても幸せだったのに、どうしてくれるんだと」と叫ぶ声をきき、心が張り裂ける思いだった。
同僚に、どうしてこんなことになったの?他の赤ちゃんはどこにいるの?と聞くと、「実は確認しないで注射して薬が違ったらしい、それで具合悪くなった、まだ誰にも言うなよ。他の子は他の分娩室でみている」と。
このときようやく状況が読めた。
恐らく、退院前の予防注射で違う薬を順番に投与し、次々と赤ちゃんが急変した。先に具合の悪くなった双胎1組を含む5人の赤ちゃんは既に他のフロアに運ばれ、私は最後に具合の悪くなった子を蘇生したのだった。
そのうち、スタッフが名前のバンドが本人と違っていてどの子が誰の子だかわからず、着ていた服を確認する始末。このころには、まだ家族には言うなとくぎを刺されつつも、同僚から一人の赤ちゃんが既に亡くなったと聞いた。
だぶん、誰の子がなくなった子だったのか確認したかったのだと思われる。特に具合の悪い数人は小児病院に搬送されたと聞いた。頼むからせめて今日だけは入院受けを迅速に対応してくれと私は願った。
そんなこんなしているうちに家族面会の時間となり、いつものように祖母、父などが病棟に流れ込んできた。
赤ちゃんがいなくなった母たちは面会者に話し、家族も怒り泣き崩れ、更にひどい状況に。父の一人は暴れまわり、他の父たちに取り押さえられ、「お前しっかりしろ、うちの子だって具合悪いんだ、暴れたって仕方ないだろ、話を聞け~」と怒鳴り合いながら取り押さえる。それでもまだ暴れて怒っている。警察も病棟まで入ってきた。家族は怒り狂い、看護長室、医師長室、分娩室へ怒鳴り込む。私は家族たちの行動は無理もないと思った、彼らの立場に立てば当然だと思った。
しばらくして、子どもの状態を報告するからと一か所に家族たちが集められた。
この時点で6人の赤ちゃんのうち2名がなくなっていた。その報告の仕方もなかなかモロッコらしかった。
「今から名前を呼びます、呼ばれる方の赤ちゃんは生きてます。今から名前を呼びます、呼ばれる方の赤ちゃんは生きてます。○○、△△、■■、○△、もう一度言います、○○、△△、■■、○△、全員の家族が面会出来ますので順番に入ってください」と。
名前を呼ばれなかった家族は泣き崩れ暴れる。警備員と警察が暴れだした彼らを抱え込むが、けられたドアが一つ壊れた。その後、みな赤ちゃんに面会し、亡くなった赤ちゃんの父たちは泣き崩れ暴れまわり立ち上がることもできず、それでも周りの人に引きずられながらどこかへ連れていかれた。
当たり前だが、子どもの誕生は親にとって一生忘れることのない幸せな瞬間であり、しかも生後3日4日たち、日々わが子への愛情は強くなっていく。今日やっと退院、家での生活を楽しみにしてた家族たちは、たった注射一本でわが子の命を奪われたのだ。こんな、こんな、こんな、酷い話はない。
翌日、職場へ行くと具合の悪くなった赤ちゃんとその母はみな小児病院とそこに併設された産科病院に移動したこと聞いた。そして、その後さらに一人亡くなり、6名中3名の赤ちゃんが亡くなったこと、間違えて投与された薬が循環器系の薬であったことを聞いた。
私は、これだけの惨劇でも、ここの病院はまだちゃんとしているという印象があった。
急変してから迅速に対応していたし、家族に正しい情報を説明した。説明の仕方が多少残酷だとしても。
もしも前院であったら間違いなく事故でなく、お子さんの具合が急に悪くなってもうどうしようもなかったなどと説明し、情報を隠ぺいしたと思う。
今まで前院で、ケアの仕方が悪くて赤ちゃんの具合が悪くなったと思うこと、例えば、「あなたの心臓マッサージ、気管内挿管、マスクバックの仕方が悪いからこの子が死んだんだ!」と思うことは沢山あった。
でも、今回は明らかに自分たちが悪いことをしたせいで子どもが亡くなってしまったとモロッコ人が自覚している。どうしてこうなったのか、どこでどうやって薬をだしたかなどを彼らはずっと話していた。そして、最後に注射した本人のこと責めたてる人はいなかった。ちゃんと見て確認しなかったのがいけなかった、悪いのは彼女だけじゃない、たまたま彼女だったと同僚たちは言っていた。たぶん、自分だって…もし今日注射してたら…と思うのだろう。
どんなに悔やんでも、どんなに怒りがあっても、もう亡くなった子どもはかえってこない。
事件の30分前には、「おっぱい出てる?飲ませられてる?帝王切開の傷はどう?良く寝てるね。かわいいね」と話しながら抱っこしていた子たちが一瞬で亡くなった。
これだけ凄惨な事故が起こっても、まだここは病院の質を改善する力のある場所だと思うから、みんなが這い上がれるようにここでやるしかない。
それでもまた陽は昇る。
つづく。