幸せなとき。
日本でもモロッコでも、仕事をしていて幸せを感じる瞬間は一緒。
入院せざるおえなかった赤ちゃんが育って、無事に退院できたとき。
働いている私たちにとって、目まぐるしく入退院は繰り返されるから、沢山あるなかのたった一人の赤ちゃん。だけど、お母さんたちにとっては苦しみと悲しみを抱えて病院に通いつめ、なんとか母乳が飲めるように、毎日少しでも大きくなるようにと願い続けた日々からの卒業であり、本当の意味での出発のとき。
はじめは点滴に囲まれていた子が、少しずつチューブが減っていき、少しずつ母乳が飲めるようになり、飲み方も少しずつ上達していく。
赤ちゃんはなにもしなくても母乳が飲めると思っている方もいるかもしれないが、赤ちゃんだってはじめから上手に飲めない。
少しずつ、少しずつ、上手になって一人前にがぶがぶ飲むようになる。
退院のとき、多くのお母さんは「今日帰るよ。本当にありがと。あんたは、よいよ。」などと言ってくれる。
長くいた赤ちゃんが帰るときは、嬉しさと寂しさが入り交じるけど、嬉しくて涙が出そうになる。
帰った子どものベッドを片付けるとき、私はとっても幸せなとき。
ここでは沢山の赤ちゃんが亡くなるから、軽快退院できる子どもの生命力の強さを感じずにはいられない。
昼間の長い時間面会しているお母さんの赤ちゃんが亡くなって退院した。
急変をみつけたときは、みんながランチタイム。主治医を呼ぶ。隣のフロアの医者から聴診器を横取りする。担当看護師に来いと言うがランチ中だから、来ない。(日本では急変をみつけたらその場を離れないが原則ですが、この国は叫んでも誰も来てくれないこともあるので、とりあえず顔を見つけて人を引っ張って連れてくる必要がある。)
何日か前から、近いうちに急変するだろうと思っていた。モロッコの医療レベルのなか、この子はとても頑張っていると思っていた。
主治医の女医はとても熱心にケアをした。流石に、これは手を出さないかんとついついあれこれしてしまう。でも、そんなことしたって私のただの自己満足。でも、急変する子はほとんど帰ってこない。一通り、ここでできることをした後に、また徐脈。またケアしようとする私に対して主治医は、首を横にふり、もうしないと言う。そして、病室から引き上げていく。
今まで、私がモロッコに着てから、看取るときに家族がいたことはなかった。
お母さんは、ランチを食べて帰ってきたところで、我が子をみてパニックになりスタッフに取り押さえられて囲まれていた。
彼女の姿を目の当たりにし、どんなに信条を持っていてもお母さんが我が子を失う辛さはみんな同じだと再認識する。周りのスタッフも流石に何人か涙ぐんでいた。
お父さんは気丈にも病室に入り、子どもの足をさすり、足にキスをして退室する。もう亡くなったかのよう。
徐脈ではあるが、まだ子どもは生きている。
お父さんにだっこしてもらおうよと提案してみるが却下される。チューブがあるからと。何を今さらいっているんだ‼普段ずいぶん乱暴にルート管理しているくせに‼私がみてお父さんを助けるからと言っても、ノー。
身体についた血液を拭き取っている間に、亡くなっていった。
宗教や文化も違うから、看取るという感覚も違うのかもしれないけど、最期はお母さんお父さんに囲まれて抱っこされて看取ってあげたいと思うのは私だけなのかな。
私だけなのかな。
とりあえず生きてる子たちが少しでもより健康に育つように。立派に育って、30年後、50年後のモロッコの未来を背負って立つ人間になってくれたら本望だ。
4か月ぶりに感動の再会。しかも中国製でなく正真正銘のメイドインJAPAN!!!
別にそんなに味噌を渇望してなかった。毎週のように近くを通るけど、アジア食材が手にはいる店だと思い出してフラーっと入るとたまたまみつけた。
見た瞬間、わーっと涙が出てきて味噌~‼と叫んでいた。いや、味噌だけでこんなに感動するんだから、日本に帰ったら大変なことになるだろうな。
そんな感動の再会をしたのに、今日のメニューは味噌を使わず、ガーリックベースのトマトソース作ったり時間をかけてオニオンスープ作ったりしている…美味しかった‼
折角買った味噌、700円もしたんだ‼
味噌使うんだ、私よ‼
パスタ美味しかった。ニンニク3房とトマト6個、玉ねぎ6個で200円くらい。自炊楽しい。
続く。