滅菌手袋が乱用されている理由の影からみるモロッコで周知の闇

 

今日この頃、いつの間にか「あらっ、おはよう、調子はどう?大丈夫?」とあいさつするときに、モロッコ人自らが私に対して、ほっぺにチュっとしようとしてくれる人が現れた。

もともと閉塞感のあるこの国にいると、私は、そんな小さな変化がとても嬉しく幸せ。

また、朝の調乳室では夜勤者がため込んだ大量の哺乳瓶を洗いながら、アラブ音楽をBGMにかけて歌ったり踊ったりもしている。もちろん私も一緒に踊る。

ここでは私だけ急いでも焦っても何もいいことはない、なぜならモロッコ人はいつだって急がない。それならいっそ私も一緒にスタッフと仕事を楽しんだほうがいいと割り切っている。それがここでのやり方である。変えられる部分はアプローチしてもいいが、変えないほうがいいこともある。そこはちゃんと見極めないといけない。そこに介入することの難しさと慎重さを忘れてはならないと考えている。モロッコ人にとっての幸せや大事なことは、私の常識と違っていても尊重して大切にしたい。

日本では仕事中に音楽かけて踊るなんてことはできない。だろうけれども、日本もそれくらい表情豊かに働いてもいいと思う。

そもそも日本にいるときから私はずっと疑問であった。どうして日本の病院は病棟でBGMとかかけないんだろうと。別にノリノリのJ-POPやHIPHOPなどをかけて踊れとは言わない。ヒーリングソングとかオルゴールとかでもあるだけで、患者さんはもちろんスタッフだって雰囲気が全然変わると思うのだが。

どうも日本の病院という場所は、きっちりと病院という箱の中で、その中のルールと常識に則りその中だけで世界が完結しているかのような雰囲気がある。自由奔放な私にはとても息苦しい場所であった。

今でも、「病院って世界一緒なんだな」「女の職場はやっぱりこうだよな」と思うことはたくさんある。それでもここに慣れてきたのもあり、言葉もろくにやりとりできないくせに、生意気にも日本の病院よりよっぽど意心地が良いと感じている。

誰か早いところ日本の病院という定義をぶち壊してくれないだろうか?

 

本題に戻ると、当院では滅菌手袋が乱用されている。

「当院」と言っている時点で、もう自分の場所になっているのだということも気づかされる今日この頃。

ずっと疑問だった。なぜこんなにも滅菌手袋が乱用されているのか。日本じゃ考えられない使い方(私は乱用と言いたくなる)をしている。

 

滅菌手袋とは。

医療用手袋にはグレードがある。

ディスポーザブル手袋(清潔扱い)は薄手で安価。大量の使用に向いている。

・滅菌手袋は、手術などに使用するもの。ディスポーザブル手袋よりもグレードの高い手袋で、単価も高い。それなりの処置のときに使用することが推奨されている。

究極のところ、簡潔に言えば、別にディスポーザブル手袋の代わりに滅菌手袋を使っても構わないが、値段が高いからもったいない、というだけのお金の話。

  

その、高価な滅菌手袋が酷く乱用されている。

別に手袋を使ってケアしているだけでも、ここでは充分に素晴らしいことである。でも、私はどうしても見過ごせなかった。

ここでは、看護師が滅菌手袋を開封したかと思えば、滅菌手袋の指の部分をハサミで切り取り、駆血帯として使用する。赤ちゃんだから、大人の指の長さが2本あれば充分に足りてしまう…

(駆血帯は、採血のときに、腕に巻いて血液を腕に溜めるもの)

駆血帯がないから代用として使うのはとてもいいと思う。でも、残りはその辺に置きっぱなしか、ゴミ箱へポイ。次に、駆血帯が必要になった時には、また、新しい滅菌手袋を開封…そして、チョキチョキと滅菌手袋を切り取る…

哺乳瓶を洗うためにも使用されている...もちろんきちんとカテーテル挿入の時にガウンテクニック時に使用している姿もみる。

その光景を目の当たりにして思わず一人頭を抱えてしまった。ここでは、もう沢山の日本じゃ考えられない‼を目の当たりにしてきたから、ケアの酷さにはもう免疫がついてここでの常識をなんとなく認識してきた。それらに比べれば、これは簡単に直せることではないか‼と、そのときは思った。

 

私はたまたま日本で勤めていた時に物品係をしたこともあった。人気のある派手な仕事ではなく、地味な業務内容であるが、私はその係の仕事が好きで楽しんでいたし、誇りをもって働いていた。

病院の経営に関与する問題でもあるし、年間で考えると物品一種類変えることが大きなコストの差を生む。とても大切なことだ。お金には多少苦労して育ってきたこともあり、お金に関して、はっきり言えばケチな部類である。その性格が生かせた業務であった。

病棟内で何をどれくらい使用し、その単価がいくらで、メーカーの違いはどれくらいあって、いや、新生児科ではこのサイズばかりを使用していて…需要がどれくらいあり…だから、メーカーを変えるか…そもそも、どうしてこれを使う業務なのだ?いらないのではないか?…スタッフの物品の運用方法を変えるか…など、定期的に診療材料の見直しと棚卸しをして、コストダウンを追い求めていた。

どうしたら過不足なく、棚を整え、使用期限が切れることなく物を使い切り、機能的に収納できるか。

私が物品係をよほど楽しそうにしているように見えたのか、その係が終わってからもスタッフに「これがもうなくなる!頼んでくれ」「これはどこにあるんだ??」と質問されて困ることもあった。忙しいときに言われると、一人の血の通った人間であるキャパシティの狭い私は「どうして自分の働いている病棟内のどこに何があるか全て把握しないんだろう。あなた新人でもあるまいし…それだけで時短になって仕事が楽になるのに…」と心の中で毒を吐いてしまうこともあったが、実際には物品係冥利につきる贅沢な悩みだろう。

 

 

今目の前にある病院の現状として、手荒い場のタオルだって、充分ではない。シリンジポンプだってよく壊れている。赤ちゃんのベッドのシーツだって、服だって、足りてない。コットもオープンクベースの柵も大体壊れている。赤ちゃんが落ちないように、なんとかベビーマットの下に生食500mLや5%ブドウ糖の袋などを入れて赤ちゃんの体を整えている。

それなのに!そんな状況であるにも関わらず!なぜこんなに滅菌手袋があるのか??

長いこと、私には理解できなかった。

スタッフにどうして今滅菌手袋使う?と聞いても、多くのスタッフは「知らないよそんなの、ただここにあるから使うだけだ!」などとテキトウな返事をされたりしていた。

たまたま、倉庫で看護長と雑談していたときに、「どうして、駆血帯に滅菌手袋を使うのか?これは高いではないか‼ディスポーザブル手袋があるではないか、もっとこっちを使ったほうがコストダウンになって、買いたいものが買えるではないか‼」と、訴えてみた。

すると、看護長は、以下のように返答。そして手袋一つにモロッコの闇を知り、ショックを受ける。

「その通りだよ、こっちは高い。こっちは安い。だから、本当はこっちを沢山使いたい。でも、病院はこっちを沢山持ってくる。何度も、こっちがほしいと言った。手紙も書いた。話にも行った。でも、ディレクターは、こっちの話は聞かない。私は看護長でも意見は言えないんだ。そう決まっている。誰の全く話も聞かない。独立して機能している。こっちが必要かは聞かない。ディレクターは、クレイジーなんだ。会社がお金を渡すんだ。だから、ディレクターは、言うことを聞かないんだ。それは、モロッコではノーマルなことなんだ…いやいや、君がディレクターにいっても、無理だ。彼らは話を聞かない。難しいことだ。…いやいや、こっちにはこない。部屋にいるだけだ。スタッフも患者のことも考えない。大事なことは自分のことと自分のお金だけだ。クレイジーなんだ。…いやいや、誰もそんなことで怒らないよ。わかったか?」

 

この看護長は、いつも私を見ると「おはよございます‼」と日本語でいってくれたり、表情の暗い私をみると笑わせようと気を遣ってくれたり、また、サボってるスタッフたちをみても、「もーう、君たちはいっつも休んでばっかり!」と笑いながら言っている…

たぶんそうとう懐が大きく人徳のある看護長。私が何かを質問しても答えもまっとうであり、人を動かすのも上手で看護長としてのスキルの高く、私は尊敬をしている。

そんな看護長は、上記の話を私にしながらも、面白おかしくジェスチャーを交えて話すことで、周りにいたスタッフは会話の内容を聞いてシリアスになるどころか大笑いしていた。でも、その会話から看護長が今まで苦しみながら働いてきたのがとてもよくわかり、看護長がふざけてヘラヘラしてるぶん、ことさら私の心は沈んだ。

 

たぶん私は、この国の核になる問題が表在化したところを、ちょうど見ることができたのだろう。

あーだから途上国なんよ。結局、何も変えられん。やっぱり私が2年間でできることは上辺だけをさらーっとなでて整えたフリをすることくらい。そんなことはモロッコに来る前からちゃんとわかっとる。

私はすべての根本は教育だからそこを変えない限り、私ひとり病院に行ったところで何も変わらないと始めからわかっていた。そもそもそんなに大きなことがしたいとかできるなんて全く思っていなかったし、今もそんなことは全く望まない。

でも、実際に目の前にいる人々には、生きた感情があり、彼らは苦しんだり笑ったり祈ったりしている。

私は彼らと毎日おはよう、元気?と顔を合わせて過ごしている。一緒に笑うし一緒に悲しんだりもする。

そうなると、そう簡単には引き下がれなくなってしまう。泣いても笑っても2年間だけという期間限定である分モロッコ人同士よりもしがらみがなく、良くも悪くも色々言いやすい立場にいる。でも、ここは引き下がらないとドツボにはまってしまう自分の姿も見える。

 

経営を担っている病院のディレクターの顔さえ知らない私。そもそも、勤務中に病棟から外に出ることさえ許してもらえない私。

勤務外にこっそり院内を周ったらどうなるのか…モロッコに3か月住んでいる私には、そのあとどのような事態になるのか多少想像がつくため、実行できずにいる。

 

根深すぎる。日本人に訴えかけるのとはわけが違う。日本の方法では難しいのかもしれない。いや、でも、試す価値はあるのかもしれない。

 

どうしたら、自分の欲を捨てて、人のために正しいことができるようになるのだろうか。どうしたら、同じ目標に向かって、自己の立場だけでなく全体のことを考えて自己を多少犠牲に協力し全体が一丸となることができるのだろうか。

ロッコ人はもともと協調性とか共同作業とか…学校でも指導されたり考えたりしたことがないから、どうしたものか。

 

そんな簡単に問題を解決できないから途上国なのである。でも、どうしたら?と考えるだけでもきっと意味はあるし、もしかすると、いつかそれが役立つ日がくるかもしれない。きっと意味のあることだろう。

それに、「どうして、モロッコはこうなんだろう。」と考えること自体を楽しめるようになった。私には余力がでてきたよう。

2年後は、日本に帰りたくないと泣いているだろう。

 

f:id:kei-iinuma:20170722065827j:plain

これはサボテンの実?!というらしい。フランス語で「これ何?これ何?」って聞いてたら、一つ皮を剥いて渡してくれた、もしかするとこれは味見させてくれるのか?と思いきや、しっかりと10円請求されました。ちょっとこれ1つ10円なんて兄ちゃん高いよ…。「めちゃくちゃ高い!」と今度は確実に通じるようにアラビア語で言い返すと、「もう一つ食べるか」とアラビア語で言われた。めちゃくちゃ美味しかったけど、悔しいから食べなかった。人は強くなるものだ…

でも、高くて悔しいからもう一つ食べないなんて、人間ができていない人間で情けないし、申し訳ない。町で見るたびに苦い思い出がよみがえる。

 

続く。