ラマダーン<続報>

ラマダーンが始まり雰囲気は、お祭りのようでもあり厳かでもあり、楽しそうでもあり、空腹にぐったりでもある。毎日朝方3時頃のアザーン(お知らせ)の前までに必死で最後のご飯を食べ、20時前になるアザーンを聞いてぐったりしながら朝食にありついている。2か月ほど学校も休みになるようで子どもたちは夜遅くまで外でサッカーをしたりして遊んでいる。でも子どもは基本的には断食(サイマ)を免除されるため、昼間も元気である。しかし、小さいころから部分的に断食をしたり数日間断食したりして、達成感やムスリムである自覚を強めたりするそうだ。妊婦も体調が悪くなければ断食をすると聞く。私は正直そんなことしたら胎児の発達によくないから辞めてくれと内心思うが、ここでは断食をすることのほうが大切だと受け入れられている。週末の夜遅くまでみんな外で楽しそうにしている。治安の関係で外で夜遊びできないが、窓から見える外にいる人たちは楽しそう。例のごとくサッカー観戦もアツい。日没後のため食事を終えて元気になったモロッカンの歓声が元気なことといったらない。誰もお酒を飲んでいないのに、よくそこまでテンションあげられるなと感心。

 

イスラム教はもともと他の宗教も受け止めるし、中東地域全体として誰でも来た人は歓迎してもてなすという文化が古くから根付いている。職場のメンバーも、ラマダーン中でも君はムスリムでないから職場の休憩室でご飯を食べていいよ。ここでは君のことをわかっている。でも、外で食べるのはよく思われないからやめた方がいいと気遣って言ってくれた。有り難い。

ラマダーンの初日は、みんな辛いようで、こいつご飯食べてるからこんなニコニコしやがって~という無言の怒りにも似た眼差しを向けられることもちらほら…(そのときから私も食べていなかったが、彼らは知らない)

 次第に、断食をしているということで親しみを抱いてくれるようで、以前は冷たく鼻であしらわれた女医さんたちも「辛いわね、今日、何時から食べていいかわかる?」などと話しかけてくれるようになったりした。日没の時間は毎日だいたい1分程度ずつずれていく。私は5日間だけ断食(サイマ)を頑張ったが、どうしても脱水による頭痛と倦怠感が強く、これ以上続けたらいつか血栓ができてどっかに飛んで倒れるかもしれないと危機を感じ、辞めた。私は異国で孤独死したくはない。来年こそは、ラマダン開始前に練習を重ねリベンジしたい。 

 

断食中には、「君はムスリムなのか?」「ムスリムでないのに、どうして断食するんだ?」「君はムスリムになりたいのか?」「お祈りのしかたを教えてあげるよ、一緒に祈ろう!」などとの勧誘?と思しき声掛けも多くなった。

周りの人には「モロッコにいる間は病院だけでなく、モロッコの文化やイスラム教についても学びたい!だから、断食にも挑戦したんだ。私はイスラム教をリスペクトするがムスリムにはならない。」と伝えるが、私の気持ちは彼らにはあまり理解できないようで、何故ムスリムになりたいわけでもないのに、苦しんでまで断食をするのかと相当クレイジーかつ奇妙をうつるようだ。しかし、そのうちにムスリムへの勧誘は言われなくなった。

 今日はラマダーン最後の金曜日、信じられないほどの人がモスクに向かっていた。入りきれず外でお祈りしている人もいた。

アッラーの教えに服従し、何が起こっても神が決めたことだからと納得できるのは、苦しみが少なくて楽な生き方なのだろう。それはとても理解できる。これは私にとって大きな変化であり、以前はそんな風に考えられなかった。たった2か月でも暮らすことでイスラム教やムスリムへの理解が変わってくるのだと実感する。

多くの人は、親からコーランを教えられ、生まれたときからムスリムであり、ムスリムであることに誇りを持っている。多くの人はムスリムの立場からしかイスラム教を理解していないだろうし、ほかの宗教に関して知ろうとする姿勢もないだろうから、コーランに書いてあることくらいしか知らないのだろう。

ムスリムの人たちはみんなとても素敵だし、コーランの教えを重んじて生きていく彼らをとてもリスペクトする…でも思うことはある…

モロッコのモロッコらしさを存分に感じ、イスラム教についてたっぷりと考え学びぬいた1か月が終わろうとしている。終わると1週間お祭りがあるそうだ。

 そして日ごとに暑くなっている。もうすぐ夏が来る。知らぬ間に季節が一つ進もうとしている。

 

続く。