ハヌートと安全。

ハヌート(ダリジャ)=小さい商店で加工品や野菜、水、ジュースなどを売っており、日本のコンビニが小さくなったようなお店に思う。

 

同じ通りに隣通しで並んでいることもあるほど私のすむ地域にはとても多くあり、地域密着型で営業している。

競争効果も働き、店ごとに多少カラーを出しているようで、品揃えも若干異なる。

 

 

この国でアジア人は歩いているだけで、非常に目立つ。外にいるだけで少なからず危険がつきまとう。しかも、まだ言葉もよくわからない状況で。

なるべく溶け込むように心がけているつもりだが、彼らから見るとすぐわかるらしい。

確かに日本人同士で待ち合わせると、遠くから歩いて来る日本人をすぐに見つけられる。

 

 

事務所からの安全指導にも、近所付き合いにより良好な関係を作ることで、何かあったときに助け合える関係を作っておくことがいざというときに生き残れるかの鍵となると言われた。

 

本当にその通り。

 

 

また気が張ってるが、なれた頃が一番危ない。

 

 

近所に大きめでいつも複数の店員さん?家族?で営業している雰囲気の良いハヌートがある。

 

「家のテレビが見れない!」

「携帯電話を買いたいならどこにいけばいいか?」

「ガスはいくらで買えるか?」

「タジンはどうやって作るのか?」

 「因みにどの食材を入れるか?」

 

などの日々の些細な質問を彼らに答えてもらい、お水やお菓子などを買って帰ってくる。

 

ひたすらダリジャ(モロッコ方言アラビア語)の野菜の名前や食材を教えてくれる。そして翌日には復習サービスつき。

 

 

 

有り難いし、とても心地良い。

人付き合いの温かさを肌で感じる。

 

同じアパートの住人方に挨拶をすると、私拙いフランス語とアラビア語を一生懸命聞いた後、そしてみな口を揃え、

「何か困ったらいつでもうちにおいで。」とゆっくり言ってくれる。

 

 

 

日々、呑気なモロッカンに悩まされ、

そして、短気なモロッカンにはフランス語がわからずイラつかれ、

ときには、ずる賢いモロッカンにお釣りをちょろまかされそうになり抗議し、

でも結局最後には、優しいモロッカンに助けられ、

 

なんとか生活することができている。

 

いい人もいれば悪い人もいる。

日本もモロッコも同じ。

 

 

日本を出たくて仕方なかった私が求めていた生活は、ここにはある!

 

 

他のアフリカ諸国やモロッコの地方と比較すると恐らくここは随分閉鎖的な雰囲気はあると思う。

しかし、日本の都市部にはない温もりが生活の中に小さく散らばっている。

 

私はずーっとこの温かさを求めていた。

とても幸せである。

 

続く。

 


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大好きクスクス、バンドラディ

金曜日(vendredi)

金曜日は、ムスリムにとってとても特別な日。

モロッコでは、家族みんなでモスクに礼拝に行き、そのあと家族そろってクスクスを食べるのが習わし。金曜日にモスクの近くを通りかかると、たくさんの人が入っていくのを見かけます。

 

町のレストラン、定食屋さんでもクスクスは食べられるが、どこのお店も

「Chaque vendredi (毎週金曜) 」

と、記載されていて他の日は出してくれません。私はクスクスが大好きなので、以前、「今日もクスクス食べたーい」と駄々を捏ねてみたこともありますが、結果はダメでした。それもそろはず、あとから知ったのですが、クスクスは作るための行程が非常に多く、手間のかかる料理。

 

そもそもクスクスとは、 

クスクス(アラビア語: كسكس、フランス語: couscous、英語: couscousヘブライ語: קוסקוס、kuskus)は、小麦粉から作る粒状の粉食、またその食材を利用して作る料理である。発祥地の北アフリカマグリブ近辺)から中東にかけての地域と、それらの地域から伝わったフランス、イタリアなどのヨーロッパ、およびブラジルなど世界の広い地域で食べられている。 

 

クスクスの作り方

 

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クスクスの調理に用いられる専用のクスクス鍋というものがあり、二段になっていて下段でスープを煮て、その蒸気で上段のクスクス粒を蒸す仕組みになっている。フランス語ではクスクシエ(couscoussier)、アラビア語では下段をタンジュラまたはグドラ、上段をクスカスと呼ぶ。かまどやコンロの口が2つあれば、鍋を二つにしてタージーン(طاجين)と呼ばれる具入りのスープとクスクス粒を別々の鍋で調理することも行われている。マグリブの家庭ではタージーンの汁と上に浮いた脂でクスクス粒を煮ることも多い。モロッコでは食べる直前に汁をクスクスにかける。クスクス鍋でクスクスを蒸すのは時間と手間がかかるが、本格的に蒸したクスクスの食感は他の調理法とは比べものにならないふっくら感やぷちぷち感があり美味である。一般的にバターを加えるのはモロッコ風、オリーブオイルを加えるのがチュニジア風とされている。

クスクス鍋でクスクス粒を炊く場合、クスクス粒に水を含ませてから指で塊をほぐし、クスクス鍋の蒸気で蒸してから再びほぐし、塩とバターやオリーブ油を加え、もう一度蒸して仕上げる。別鍋でクスクス粒を炊く場合、一人当たり200cc相当を目安に、それ相当のクスクス粒、ほぼ同量のぬるま湯とごく少量のバターまたはオリーブオイル、少量の塩を加え、5分程度火にかけて炊き、火を止めた後さらに数分蒸らす。ぬるま湯とバターの代わりに、マグリブの家庭で行われているように、タージーンの汁や脂を用いても良い。この場合クスクス粒に既に味が染み込むことになり、風味が向上する。

 

家で一人ぶんを作る気にはとてもなれない。本当に手間がかかる。

そのぶん、ムスリムにとって大切な金曜日にいただくご馳走なのです。

私としては仕事の疲れも溜まった金曜日、花金のクスクスなのです。これからは毎週金曜のランチクスクスが楽しみになりそう。

 

楽しみがあるから仕事も頑張れる。

 

少しずつ、二年かけてモロッコを紐解いていこうと思う。

 来週もおいしいクスクスを食べるために頑張ります。

 

「ビスミッラー」(いただきます)

 

続く。


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ニーハオ

毎日、町を歩くと

 

 

「ニーハオ」

と、声をかけられる。

 

それは終わりがなく、昨日も今日も明日も、明後日も。。。

 

 

アジア人は、みな中国人だと思っているかたもいらっしゃるよう。

たまに、からかって言ってくる若者もいるように感じるが、多くは違う。

 

相手をみて、大丈夫そうな人には、

「アナヤバニーア」(私は日本人だ)

と、返事をしたり、

「こんにちは」

と、返事をしたりしてみる。

 

すると中には、

「オー、ようこそモロッコへ!」

と言ってくれる人もいる。

中には、

「おーにほんか!こんにちは!ありがとう!大好き!」

などと知っている言葉をひたすら言ってくれたりする。

 

 

多くのモロッカンは、外国人を温かく受け入れてくれる。親しみを持ってニーハオと声をかけてくれている。

 

 

女性でも、たまに通りすがりに微笑みかけてくれる人もいる。

男性も、微笑みかけてくれるが、一部の男性は、意味あいが違うので対応には細心の注意を払う。

 

また、彼らからみてアジア人は年齢不詳に見えるそうで、背丈の低いことからもしかしたら、子どもだと思われているかもしれない。

 

とりあえず、モロッカンのマルハバ精神は、偉大である。いつでもようこそと受け入れてくれる。

 

町でキョロキョロしているだけで、

「君は何処を探しているんだい?」

と、声をかけてくれる方もいる。

 

 今日もニーハオに感謝。

 

 

続く
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私の名は、こーきー。

モロッコ人の名前は、私が聞く限りで似ている名前や、同じ名前の人が多く、わかりづらい。

きっと、日本で言う、、、

 

安藤さん、佐藤さん、田中さんが沢山。

 

 

日本人の名前も聞き取りづらいよう。

母音が2音続く言葉は、アラビア語にはないのでどう発音したらいいのかわからないよう。

 

そのため大体のモロッカンは

 

「あなたは、こーきーなのね」といわれる。正確には違う。

 

 

ホームステイの家族にも、

やはり「こーきー」と呼ばれていた。

何度か言ったが発音できなかったから、彼らの発音を修正することを諦めていた。

それに「こーきー」と呼ばれることも気に入っていた。

 

お母さんが

「こーきー!ご飯よー!」

と台所から叫ぶ。

 

 

ホームステイ中のある日、アラビア語で自分の名前を書いて、

「私の名前が書けたよ!」

 

と、家族に見せると、お父さんがやや残念そうに

「君の名前、僕たちは間違って呼んでたんじゃないか、なんてこった!」

 

と言っていた。

名前が書けて嬉しくて見せてしまったが、少し悪いことをしてしまった。

 

私はこーきーと呼ばれるのが気に入っている。だから、これからもこーきーと呼んでほしいとお父さんにお願いする。

 

 

職場でもどうしても、私の名前は、こーきーになる。

 

 

モロッコでは、私の名前は「こーきー」。

 

 

 

また、平仮名でモロッカンの名前を書くととても喜んでくれる。仕事中に、私の名前を日本語で書いて!と、同僚に頼まれる。なんと、名前を書いた紙を写真とってくれたりもする。

●●は、日本語でなんと言うの?などのやりとり。

 

アラビア語の発音は難しく、うまく発音できず、恐らく私が言いたい言葉と発音した言葉が違っていて、、、

悪戦苦闘する私を見て大笑いしてくれる仕事終わりの助産師さんたち。

 

私もフルネームでアラビア語で書いてもらう。

 

お互い、自国の言葉は簡単だといい、

お互い、相手の言葉は難しいという。

 

 

相手を理解しようと歩み寄ること。

こんな些細なことでも出来るだけで、ここに来た意味はあったんだなと思う。

 

仕事するまでの道のりは遠いが、少しずつ。

まずはここで私を受け入れてもらい、ここで愛されること。

 

 

続く。

ボランティアを知らないモロッカンにボランティアを伝えられない私。

ボランティアとは、

無償で自発的に社会活動に参加したり,技術や知識を提供したりする人,またはその活動。

と言われているそうです。

 

 

一般のモロッカンは、ボランティアを知らない。

 

「ボランティア?なんだね?君は看護師なんだろ?」

「仕事しに来たのか‼」

「勉強しに来たのか‼」

 

大体この2択。

たぶん人のために働くという概念はなさそうな雰囲気。

家族のことはとっても大切にする。

自分のことも大切にする。

しかし、お金を考慮せずに人のために働くという考えはなさそうに思う。

 

 

彼らにはない概念において活動する私。

活動する前から伝わらないから悪戦苦闘。。。

 

職場で初め、2年間のスケジュールとして、3-6カ月ごとに各科を回るローテーションを組まれそうになった。

 

思わず「私はレジデントか!」と、突っ込みたくなったし、

「色々なところをみて学びたいけどベースは新生児科で働きたい」というと、

 

「新生児科は、もうたくさん勉強したんだろ?それじゃあ勉強にならないじゃないか!」と言われる始末。。。

 

言葉もままならなくて、相手の性格もよくわからない人と、初対面で大事な話をしなくてはいけない。やるしかない。

 

看護長は、フランス語で三回程説明したが内容を理解できなかった私に対し、

「あなたはフランス語もアラビア語も英語もわからない!私は何語で話せばいいのよ!」

と、やや呆れ?怒られる。

ボスとなる人は色々背負い、ことが重なるとイライラしてしまう。それは日本も一緒。だからこれには慣れている。

 

 

こんな場面はよくある。

せめて、フランス語だけでもすらすらと話せれば。

 

今は、生きるためのフランス語だけで必至。

 

職場の医者のなかには、フランス語、アラビア語、英語、イタリア語、スペイン語を操る方も。

 

 

私は日本語でさえ危うい。特に漢字。

 

母国語にさえ自信がない。

非常に悔しい。恥ずかしい。

 

 

そして人に伝えるって、本当に難しい。日本語同士でもわかり合えないこともある。

でも、言葉を使わなくてもわかり合えることもある。

 

2年かけて、ボランティアってこんなことをする人なんだと、私を通して彼らに伝えたいと思う。

 

 

 

つづく。

オピタルドンフォン


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オピタルドンフォン=小児病院。

 

私のこれからの職場。

挨拶して中を見せていただいた。

 

これからここにお世話になるんだ。

スタッフと早く仲良くなれるといいな。

どんな医療環境なんだろう。

赤ちゃんに早く会いたい。

どんな疾患の子どもがいるのかな。

家族対応や育児の習慣ってどうなんだろう。

こっちの看護師さんってどんな感じで働いてるんだろう。

どんな医療ケアが出来るんだろう。

彼らにどうやってアプローチしていこうかな。

 

就職してから5ヶ月も病院を離れたことはなかったので、久しぶりに仕事するという不安もしかり。

 

ワクワクとドキドキ。

 

 

 

 

看護長は、事前に前任の方に伺った通りとても素敵な方。

 

勿論、赤ちゃんはやっぱり可愛い、癒し。これは万国共通なんだと再認識。

 

しかし、よく見ると日本の小児現場では考えられないようなことも沢山あり、とても衝撃的。

ハラハラして、思わず手を出したくなるようなことも度々目の当たりにする。

 

それでも現地の看護師、助産師、医者。

私の事前の予測より、彼らはとても熱心に仕事をしていた。

 

モロッコでこんなに仕事頑張っている人たちをはじめてみた。

彼らはみな仕事にプライドと誇りをもって働いており、彼らの中の彼らなりの常識的な医療を善意をもってケアしている。その熱意をとても感じた。

「見学してみる?教えてあげるから、ついてきなさい!」

という感じであった。

 

だから、私は彼らの頑張りやプライドや誇りに関してはしっかりとリスペクトしなくてはならない。

 

ただ、私が日本でやってきたことと違うこともしているだけで、日本も昔はきっと同じだったのだろう。自分を納得させようとする。

 

彼らも私も、赤ちゃんのために頑張って仕事をしている。

 

だから、向き合うのではなく、同じ方を向けるようになれば上手くやれるはず。

たぶん。

 

同じ方を向くまでが一番大変そう。

私が見てきた世界と彼らの見ている世界があまりにも違いすぎる。

 

ただ、今も治療を頑張っている赤ちゃんの苦しむ様子を見ると、とても手や口を出したくなる。

とても出したくなるけど。

 

もし今、手や口を出したら、

「よそ者が偉そうに!私たちのことに口を出すんじゃない!」と言われ、

恐らく、病院で干されるのではないかという雰囲気。

やはり、看護は女の世界。

それも万国共通だと認識。

 

事前に予測していた通りだったが、

ここでうまくやるためには、はじめの私の我慢が大切なんだと改めて痛感。

とりあえず、始めは関係ができるまで何も言わず、私を受け入れてもらえるまで我慢。

 

でも、どうしても目の前にいる赤ちゃんを思うと胸が苦しくなる。

別に特別な機械や道具やお金がなくても、知識さえあれば、すぐに変えられることは沢山あった。

 

ここをこうしたら、この子は呼吸がもっと楽になるのに。

そうしたら、酸素が減らせるかもしれない。

 

ここにタオルを入れたら、赤ちゃんの姿勢がよくなるのに。

そうしたら、この子の発達が全然変わってくるのに。

 

こんなに音をたててケアしないほうが、赤ちゃんの発達がよくなるのに。

そうしたら、結果的に入院日数も短くなるのに。

 

ここにこれをおいたほうがスタッフの導線が楽なのに。タイムロスも沢山。

 

沢山のこうしたらが、私に押し寄せる。

 

 

どうしたら、彼らに伝わるかな。

どうしたら、私の考えを受け入れてもいいと思うかな。

 

自分の苦戦する様子が目に浮かぶ。

非常に不安だ。

弱音を吐いてしまう。

 

そもそも、自分自身フランス語で医療ケアできるレベルではまだまだないし。

日本で新生児の認定持ってるわけでもないし、日本で働いた年数だって、外で威張れるもんではない。

まだまだ、私だって看護の修行中。

これは永遠に続いて、いつまでたっても終わらない。

だから、看護は楽しい。

 

でも、比較的現状に満足しがちな国民性に感じとれるモロッカン。

 

違う価値観の中に一人で飛び込んでみる私。

さて、どうしたら、わかりあえるかな。

 

 

二年かけて、少しずつ、少しずつ。

まずはスタッフと仲良くなれるように。

 

続く。

情熱、それは心の栄養

モロッコに来て驚いたこと、意外だったことはたくさんあった。

 

なかでも、ダントツの衝撃はサッカーにアツい!

 

とてもアツい!!

とにかくアツい!!!

 

主に男性方。

 

確かに他に娯楽がないことも影響しているかもしれない。また競馬も人気のよう。

 

仕事ほったらかして、

ずーっとサッカーをみている。。。

ように見える。

 

サッカー以外のシーンでも、仕事中でかつ休憩中の人は男女ともに沢山見かける。そこら辺でみなタバコ吸って一服休憩をしている。

こんなに仕事しなくても、世の中が成り立つんだと感心。

日本人は、頑張りやさんで、色々ときちっとして真面目過ぎるのかもしれない。だから、疲れてしまう人も多いのかなとか思ってみたり。。。

モロッカンは、エネルギッシュでニコニコしている人が多い。

 

話はサッカーに戻るが、ホームステイ家族のWi-FiのIDに「ゴーーーール」という名前が採用されていた。

勿論、お父さんは日曜日の夜、サッカー観戦のため家から姿を消していた。

家にもテレビはあり、女性たちは家のテレビで一応サッカー観戦しているが、どちらかというとサッカーよりもおしゃべりに夢中。あんまりテレビは見ていない。

因みにお父さんはレアルが好きらしい。

彼曰く、「モロッコとスペインは近いだろ!だから、レアルのファンはモロッコに沢山いるんだぜ!お前の日本の家族はサッカーみないのかい?」とのこと。

 

 

土日、男性たちは町のカフェでコーヒー片手にサッカー観戦。

たまたま私の目撃したカフェのひとつは、サッカー観戦に人気の店なのか。。。

 

お客さんが多すぎて席が足りなくなり、隣の店の椅子とテーブルを追加して、みなで仲良く応援。

テレビモニターに対面してぎゅうぎゅう詰めに列になり座っている。

モロッカンもちゃんと列に並ぶときもあるんだと感心。

 

 

まるで映画館のよう。。。

 

 

みな同じチームを応援している模様で、試合の動向の一喜一憂に忙しい。

みな同時に悔しさや喜びを叫ぶ!!!

 

町を歩いていると、男性たちのまとまった叫び声が、時折どこからか聞こえはじめ非常に驚いた。

 

「何事だー!(心の声)」

 

ただでさえ初めは不慣れでドキドキしながら町を歩いているのに。

 

 

 

そう、それはゴーーーールの瞬間。

 

 

 

今夜も、あちこちのカフェに男性たちが集まり、熱い視線の先に、勿論サッカー。

そして、町に歓声が響く。

とても楽しそう。

 

 

私の目にモロッカンは、みなとっても幸せそうにうつる。自分の国や文化に誇りを持ってるし、仕事そっちのけで何かに熱中し、情熱を捧げ、みなで歓喜する。

 

心がとても健康。

老若男女問わず、みな眼がキラキラしている。

 

 

日本のサラリーマンよ、もっと仕事をサボれ!

というわけではないが、

日本人もモロッカンに見習わないかんと、思いました。

 

 

本当の健康って、きっとこういう小さなことから始まる。

 

私がモロッコに慣れて帰国近くなったら、こんなことに驚いてたんだっけと、過去の自分に驚く日も来るかもしれない。

 

つづく。