時間をくれ‼

活動計画を立てる時間がほしい。自分のパソコンを使って、家でやりたいと言ったら、看護長から「勤務が終わってからの16時以降にやればいいじゃん。16時以降なにしてんのよ?どうして、あなたはフランス語も英語もアラビア語も話せないし‥全く、どうしてくれんだ」と言われた…どこまでブラック病院なのか。

言語道断だ、私は仕事は職場で終わらせるスタンスなんだ。16時以降は私の時間だ、息抜きをさせてくれ、じゃないと2年もない。日本でも勉強会やセミナーや論文作成とかは時間外でやるし、病院に残って勉強したりしたことはあるが、主体的にやるもので強要されるべきでない。

もしも、現場にいる看護師が100%全力で仕事しているなら私もそれくらい頑張りたいと思うが、看護師は私に仕事を押し付けてサボっていることが多い。

その上、こんなことを言う看護長。

私がいつもニコニコしてるからって、なめやがって‼私が全てを伝えてるわけじゃないと言うことを知らないから仕方ないのかもしれない。いつもへらへらしてるように見せかけてるけど、めちゃくちゃ色々考えて上手く立ち回るように努めてるも知らない。しゃべれんけなめんのいい加減にせいや‼(ふと、研修所で酔っぱらって暴れてる同じ班の男の子が危なすぎて怒ったら、怖がられたのを思い出した。)

非常に頭にきたが感情で対応しても仕方ないので、最後の手段に出る。絶対に一撃で効くと知りながら今までずっと使わなかった。脅してるみたいで本当はこんなこと言いたくない。

冷静に「もういいわ。別に私はいつでも日本に帰れるの。もしあなたが望むなら、私はいつでもここを辞めるわ。他の病院からもおいでって言われてるし。」と言うと、看護長「ちょっと待って待って、わかったわ、時間をあげるわよ。どれくらい何日ほしいの?」と。

こんなことしないと受け入れない、そういうレベルなんだと改めて痛感。なんて幼稚なんだ看護長。しっかりしてくれ、私はあなたをリスペクトしたいんだ。

 

そんな午後を先日過ごし、今朝、教授に「先週看護長とも相談して計画を立てたいので、今週の午後の時間帰宅してプランの準備をしたい。」と言うとあっけないほどすぐ、「勿論よ、やりなさい。作ったら私に見せてね。看護長たちと話し合いましょう。全く問題ないわ。」と言ってくれた。感謝、そういってもらえると、ちゃんと午後も計画立てたり、プレゼン作ったり頑張ろうと思えるのに、どうして看護長はそういうことができないのか…仕方ないのだろう。たぶん、それができないから途上国なんだろう。

教授は、先進国に留学した経験もあるから先進国での道徳観も仕事の捉えかたなども良く知っている。彼女は多忙であんまり彼女と直に話せる時間は少ないが、いつもにこやかに話してくれる。できれば教授と直でやり取りしたいんだが、看護長は先に話を聞いていないと「私きいてない」とご立腹するし、たいてい何かを看護長に言うとそこで私の話は否定されてストップ。看護長がご立腹するのも教授はわかってるから、先に看護長に話を通せと徹底する。そして結果的には何も進まない。そして、私のストレスは溜まっていく。

この負のスパイラルは協力隊あるある。

 

特にここの看護師は、みんな自分のことしか考えていない。自分の身を、自分のラクを、あんじて仕事をしている。とりあえず、私は自分が好きな直接母乳の介助や家族との会話を楽しんで家族と関係をつくり、楽しく仕事をしている。やる気のある女医たちには何かできるかもしれない。何を求めているのかゆっくりリサーチしてみたい。

 

プランを立てるにあたり、これは私のための物でなく、あなたたちがこの病院のためなんだ。みんなでやるんだ‼、と伝えた上で、マズロー欲求階層説を説明し、だから、こういう順番でやらないかんけ、と伝えてみようと思うが…どうだろう波乱かもしれない。見栄っ張りなモロッカンのことだから、もっと大きなことをやれとか、最先端の日本のケアを教えろとか言い出すのが眼に浮かぶ。志が高いのは素晴らしい、でも今は、そこではないというためにマズローに助けてもらう。

 こちらにきてから、看護学校で習ったことや新人時代に先輩に叩き込んでもらったことをとても思い起こすことが多い。とても大事なことを学んだんだとこちらにきてから、気づくことが多い。

沢山の、日本にはあってモロッコにはないもの。 やっぱり教育が人間をつくる。

 

f:id:kei-iinuma:20170808023748j:plain

ロッコの観光雑誌とかにも載せられそうな写真がとれたと自己満足している一枚。

 

続く。

chellah遺跡の写真たち

先日chellah遺跡の写真。一眼レフの写真が重すぎて時間がかかりましたが、きれいな景色だったので、紹介させてください。

 

 

f:id:kei-iinuma:20170813041451j:plain

 

f:id:kei-iinuma:20170813040314j:plain

  

f:id:kei-iinuma:20170813034801j:plain

 

f:id:kei-iinuma:20170813040135j:plain

 

f:id:kei-iinuma:20170813040134j:plain

 

ローマ時代の建築物が時を経て、今も残されていて、その経過した時間の長さと重みを遺跡の端々から感じ取れます。

 

イスラム教が入る前のモロッコ人の祖先たちがどのようなことを想い、生活をしていたのだろうと想像をふくらませてみますが、ムスリムでない彼らのことが私にはどうしても想像できません。イスラム圏でなかったときが想像できないくらい、この国にはイスラム教が生活の隅々に溢れている。

 

改めて信仰の影響力の大きさを実感する。

イスラム教が入ってきても、多神教の遺跡を壊すことなくそのままにしておいたモロッコ人にとても好感が持てたし、そこはなかなかモロッコ人らしいし、ムスリムらしい。

 

続く。

幸せなとき。

日本でもモロッコでも、仕事をしていて幸せを感じる瞬間は一緒。

 

入院せざるおえなかった赤ちゃんが育って、無事に退院できたとき。

働いている私たちにとって、目まぐるしく入退院は繰り返されるから、沢山あるなかのたった一人の赤ちゃん。だけど、お母さんたちにとっては苦しみと悲しみを抱えて病院に通いつめ、なんとか母乳が飲めるように、毎日少しでも大きくなるようにと願い続けた日々からの卒業であり、本当の意味での出発のとき。

はじめは点滴に囲まれていた子が、少しずつチューブが減っていき、少しずつ母乳が飲めるようになり、飲み方も少しずつ上達していく。

赤ちゃんはなにもしなくても母乳が飲めると思っている方もいるかもしれないが、赤ちゃんだってはじめから上手に飲めない。

少しずつ、少しずつ、上手になって一人前にがぶがぶ飲むようになる。

 

退院のとき、多くのお母さんは「今日帰るよ。本当にありがと。あんたは、よいよ。」などと言ってくれる。

長くいた赤ちゃんが帰るときは、嬉しさと寂しさが入り交じるけど、嬉しくて涙が出そうになる。

帰った子どものベッドを片付けるとき、私はとっても幸せなとき。

 

ここでは沢山の赤ちゃんが亡くなるから、軽快退院できる子どもの生命力の強さを感じずにはいられない。

 

昼間の長い時間面会しているお母さんの赤ちゃんが亡くなって退院した。

急変をみつけたときは、みんながランチタイム。主治医を呼ぶ。隣のフロアの医者から聴診器を横取りする。担当看護師に来いと言うがランチ中だから、来ない。(日本では急変をみつけたらその場を離れないが原則ですが、この国は叫んでも誰も来てくれないこともあるので、とりあえず顔を見つけて人を引っ張って連れてくる必要がある。)

 

何日か前から、近いうちに急変するだろうと思っていた。ロッコの医療レベルのなか、この子はとても頑張っていると思っていた。

主治医の女医はとても熱心にケアをした。流石に、これは手を出さないかんとついついあれこれしてしまう。でも、そんなことしたって私のただの自己満足。でも、急変する子はほとんど帰ってこない。一通り、ここでできることをした後に、また徐脈。またケアしようとする私に対して主治医は、首を横にふり、もうしないと言う。そして、病室から引き上げていく。

 

今まで、私がモロッコに着てから、看取るときに家族がいたことはなかった。

お母さんは、ランチを食べて帰ってきたところで、我が子をみてパニックになりスタッフに取り押さえられて囲まれていた。

彼女の姿を目の当たりにし、どんなに信条を持っていてもお母さんが我が子を失う辛さはみんな同じだと再認識する。周りのスタッフも流石に何人か涙ぐんでいた。

 

お父さんは気丈にも病室に入り、子どもの足をさすり、足にキスをして退室する。もう亡くなったかのよう。

徐脈ではあるが、まだ子どもは生きている。

お父さんにだっこしてもらおうよと提案してみるが却下される。チューブがあるからと。何を今さらいっているんだ‼普段ずいぶん乱暴にルート管理しているくせに‼私がみてお父さんを助けるからと言っても、ノー。

 

身体についた血液を拭き取っている間に、亡くなっていった。

 

宗教や文化も違うから、看取るという感覚も違うのかもしれないけど、最期はお母さんお父さんに囲まれて抱っこされて看取ってあげたいと思うのは私だけなのかな。

私だけなのかな。

 

とりあえず生きてる子たちが少しでもより健康に育つように。立派に育って、30年後、50年後のモロッコの未来を背負って立つ人間になってくれたら本望だ。

 


f:id:kei-iinuma:20170807031013j:image

4か月ぶりに感動の再会。しかも中国製でなく正真正銘のメイドインJAPAN!!!

別にそんなに味噌を渇望してなかった。毎週のように近くを通るけど、アジア食材が手にはいる店だと思い出してフラーっと入るとたまたまみつけた。

見た瞬間、わーっと涙が出てきて味噌~‼と叫んでいた。いや、味噌だけでこんなに感動するんだから、日本に帰ったら大変なことになるだろうな。

そんな感動の再会をしたのに、今日のメニューは味噌を使わず、ガーリックベースのトマトソース作ったり時間をかけてオニオンスープ作ったりしている…美味しかった‼


f:id:kei-iinuma:20170807031547j:image

 

折角買った味噌、700円もしたんだ‼

味噌使うんだ、私よ‼

パスタ美味しかった。ニンニク3房とトマト6個、玉ねぎ6個で200円くらい。自炊楽しい。

 

 

続く。

風邪、時々、chellah遺跡

ロッコに来てから、何度ととなく体調を崩した。

始めは体調を崩して熱を伴ったが、現在は鼻汁やくしゃみ程度があったり治ったりを繰り返す。この4か月で日本の何年分の風邪をひいたのだろうか。

ロッコに来てからいくら体調を崩しても食欲を失うことはない。有難い。栄養管理はとても大切。

 

こんなに風邪をひく要因の外的因子として。

ロッコ人自体がとてもよく風邪をひいている。職場では誰かがいつもくしゃみをしていて、誰かがいつも「私体調が悪いの」と言っている。でも、感染管理なんてない。コップは洗わず使いまわし。トラディショナルな食事スタイルとしては、家族で一つの大皿から手で取って食事するスタイル。くしゃみや鼻水があったってマスクなんてしないし、平気で人に向かってくしゃみや咳をする。感染症を円滑に運搬しているように見える。

内的要因として。

私の身体にモロッコのウイルスの免疫がなかった。知らぬ間にたまるモロッコストレス?の影響が大きい。循環器、新生児科のクリーンな病棟で勤めて、仕事中も常にマスクをして仕事していたため身体がウイルスに弱い。運動不足、こちらにきてから私の考える運動ができていない。ラマダーン中に断食で身体を極限まで省エネする力を身につけたため、全身が脆弱化しており未だ回復していない。私のNK細胞がサボっている、というのは冗談。

とりあえずよく食事はしているから、発熱したりする重症化を避けられているのであろう。身体を強くしないといけない。外がうるさくて時々眠りが浅くなることもあるが、睡眠も充分に取れている。

 

運動だ運動‼

鼻水をたらしながら、先日、考古学博物館の人に教えてもらった遺跡に行ってきた。行きは頑張って歩いて向かい、帰りはたまたま送迎できていたタクシーで帰ってきた。

当日モロッコは祝日であったため、モロッコ人は入場するのが無料だったそうで人が多かった。沢山アラビア語を話してみたが、君は外国人だろって言われ、しっかりと100円請求された。職場の人には「君はもうモロッコ人だ」と言われているのに…アジア人の顔はごまかせない。別にお金はいくらでも払うんだが、外国人と言われると少し切なくなる。モロッコの観光地では、首都はほとんどないよねと言われてしまいがちであるが、住んで探してみると見どころは色々見つかる。

折角だから旅行では知れないモロッコを。

f:id:kei-iinuma:20170802034238j:plain

入口はとてもモロッコ式。

f:id:kei-iinuma:20170802040055j:plain

中に入ると一気にタイムスリップ。普通にあるのがすごい。

インターネットの接続が悪く、載せたい写真が全て上げられない。

遺跡の続きはまた。

 

続く。

情熱それは、心の栄養。私の栄養は?

それは野球観戦。

元々、野球を見るのは好きだったけど、好きなのは高校野球の甲子園‼

毎年繰り広げられるドラマに涙を流しながら応援していた。みてるだけで夏の一日終わってしまうのが残念だが。

 

ロッコに来てからは、都合によりプロ野球を観るようになった。たぶん、きっかけは何でもいい。観戦するようになって、どうしてこんなに楽しいことを今まで知らなかったんだろうと思うのだ。

そう、きっとなにかを好きになるのに理由なんてない。恋愛みたいなセリフだが。

 

プロ野球に完全にハマってしまった。

本当に本当に、魅せてくれるのだ‼素晴らしいのだ‼そして、プロ野球観戦にハマってからとても私は元気になった。

毎日仕事終わりに自宅で、誰がが作ってくれるハイライトをYouTubeで一人きゃーきゃー言いながら見る。

負けた日は、残念ながらハイライトはない。仕方ないけん。また明日‼である。

 

対立と摩擦は好きではないし、飲み屋でも政治と野球と宗教の話しはするなと言われているので、球団名は避けておきます。

 

 

f:id:kei-iinuma:20170731053328j:image

つづく。

しょうがいとはなんなのだろうか

交通事故も多く、整形の技術も低くたぶんリハビリなどの技術も乏しいのだろう、四肢の変形が著しい人や四肢欠損している人。

視覚しょうがい、聴覚しょうがいのある方を町で多く見受ける。正確にはわからないが、日本よりも割合が多い気がする…

中には、道端にいて、「10円下さい」とものごいしている人もいるが、ティッシュを売ったり、中には視覚しょうがいのある方で、町のなかを歌を歌って周りお金を稼いでいたりする。その歌声がめちゃくちゃ良い‼思わず人混みを掻き分けてお金を渡しにいく。

また、視覚しょうがいのある方が道をわたろうとして、車が来るかわからず道で立ち止まっていると近くにいる人が、「今は車が来ないから行けるよ」などと声をかけながら、彼らの腕をひき一緒に道をわたっている。電車の乗り降りも、日本では駅員がついているが、こちらでは近くにいる人がみんなで手伝って車椅子を乗せたりしている。

ロッコには点字ブロックや信号の音声ガイドなどはない。道もデコボコだし、所々に穴もある。

でも、近くにいる人と助け合える世の中なら、点字ブロックも信号の音声ガイドもいらないんだなぁと気づく。

詳しいデータがあるかわからないが、もしかしたら、日本よりもしょうがいを抱えた人の外出率は高いかもしれない。

 

しょうがいってハンディキャップって、なんなんだろう。

 


f:id:kei-iinuma:20170731051415j:image

祝日じゃないけどお祝いだそうで、お祭りのような雰囲気。町にはアート作品と音楽が溢れている。歩いてるだけで幸せ。

 

つづく。

時間

よく子どもを生むと自分の母親の偉大さがわかるなどと言われることもある。

私は今のところまだ子育てをしたことがないが、世界中のお母さんたちが偉大なのはとてもよく感じる。もちろん、お父さんたちも偉大である。

 

子どもの頃、何かに挑戦したけどうまくいかなかったことを悔やみ「こんなことになるんだったら始めからやらなければよかった。時間の無駄だった」と、随分大人ぶったことを母に伝えたことがあった。

そうするとすごい勢いで母は怒りだして、「どうしてそんなこと言うの‼二度と言っちゃいけない!あのね、無駄な時間なんて無いんだからね‼」

 と激怒されたことがあった。

 

私の中学生の時の人生設計では、

18歳高校卒業

20歳で学生結婚

21歳で看護学校卒業

23歳で第一子出産

25歳で第二子出産

28歳で第三子出産

その後は子育てしながら仕事をするという目論見であった。40・50歳代になったらきっと孫に囲まれて楽しくやっているだろうと…

母に子どもをうむんだったら若いうちのほうが体力があって楽だよ…とささやかれたこともあった。母は23歳で私をうみ、26歳で妹をうんでいる。

大人になり色々なことを知り、考えが大きく変わり、こんな世の中に自分の子どもを残したくないと思うようになった。たとえ万が一、誰かと結婚したとしても、子どもはもうけずに夫婦で時間を過ごしていこうと思っていた。

 

実際の人生は、

18歳高校卒業。高校生活は心底つまらなかった。看護学校に入学するためだけに通った。ある意味で忍耐強さを得た3年間であった。子どものころから長女だからなのか、何かといつも我慢していることが多くて、大人になって自分でできるようになったら海外旅行(なぜかマチュピチュとスイス)に行きたい。海の近くに住んでみたいという願望が強い子どもだった。このころまでは自分のしたいことできなかったり学校の決まりなどが多くてとても息苦しい生活に感じていた。

21歳看護学校卒業。色々と自由が利くようになり楽しかった。看護大学に編入したかったが、相談した先生が悪かったのか、ろくに私の考えを聞くこともなく「それよりもまず国試をなんとかしなさい」と言われた。今考えると悲しい話だ。

23歳仕事がきつくて、違う仕事をこっそり探す。看護師で海外に行くことなんてすっかり忘れている。いや、そんなこと言ってる場合ではないと思っていた。

20代後半は比較的真剣に仕事をする。産科病院、移行医療、在宅医療、療育などを少しずつ勉強して、少しずつ仕事が楽しくなってきた。職場でお昼休みに【なんで看護師になったの話】をしていて「そういえば、本当はJICA行きたかったんですよね…でも私英検3級しかもってなくて…」と言っていてたら、先輩に「あー知り合い何人か行ってきた人いるけど、語学はそこまでできなくても大丈夫だと思うよ。むしろ英語以外の現地の言葉やることが多いから、意外とハードルひくいよ~調べてみなよ~」「絶対病院の中がダメなタイプでしょ、さっさと辞めちゃいなよ~」と言われ、家に帰ってこっそり調べ始める。「なんだあ。これなら、今すぐ行けるじゃん」と思い、試しに応募してみた。まあ落ちても日本でやりたいこともたくさんあるから別にいいや~という勢いであった。

今は、気が付いたらアフリカ大陸にいた。予定変更に予定変更を重ね、マチュピチュもスイスも行けていないにも関わらず、どうやら、アフリカ大陸で30歳を迎えるらしい。私の人生は行き当たりばったりで、予定変更ばかりであった。でも、軸の中には変わらないものもある。でも、この順番でこの内容の時間を過ごしてきたから、今の自分なんだろうなというのがよくわかるから、私にとって無駄な時間はなかったと思う。

日本では女性は若いほうが良いというような風潮があるように感じるし、女性自身も若作りするようなことを多く見受けるように感じている。実年齢よりも若く見られるとうれしいと言う女性たち。

日本にいるときからその風潮が好きではなかった。人間は年を重ねることに成長して魅力は増えていくものだと考えている。どうして時間に逆らうようなことをしなくてはいけないのか。進んでいく時間をその時々で楽しんで生きていく方が絶対に素敵だと思うのは、少数派なのだろうか。

出発前に、私のその考えを知っているウィンドサーフィンの大先輩に「30歳を日本じゃないところで迎えられてよかったね」と言われて確かにその通りだと思った。

 

帰国するときにはもう少しちゃんとした30歳の人間になっていたい。

 

f:id:kei-iinuma:20170729171945j:plain

手の形のキーホルダーはファティマの手といわれて、魔よけの意味があるそうです。

生活の中の色々なところにこのデザインがモロッコでは使われている。

先日、日本人4人で外食をして、すっかり日本気分になってしまい、お店を出るときにめちゃくちゃ大きい声で「ごちそうさまでした~‼」とうっかり言ってしまった。

 品格のある30歳は遠い...

つづく。