なぜ、カウンターパートとの関係づくりに苦慮する必要があるのか?
表題にある通り。
よく、協力隊関係者やOVの方々から「カウンターパートとの関係を良好にすることで活動がうまく行くようになる」とか「カウンターパートとの関係を大切にした方がいい」という意見や話をよく聞く。
私にとってそれは教授であり、彼女は大変多忙であり、現実的に活動のパートナーになってくれるのは看護長。
勿論、大切にするし、したいと思うし、彼女の医療に対する情熱をとても尊敬している。でも、どうして私が彼女のことを大切にする必要があるんだろうかと考えるとどうしてもしっくりこなかった。確かに彼女が私によい印象を持ってくれたら、いろいろやりやすくもなると思う。それが結果的に赤ちゃんや家族のためになることは勿論だろう。 正直、今の段階で私と彼女が良い関係とは思えない。話も聞いてくれないし、意見を伺っても教えてくれない。彼女にとってのボランティアとは、ただ長めにいる研修生程度の感覚なのだと感じている。それ以前の問題として、教授に話をする内容の了承を看護長たちになかなか得られない。看護長たちさえも、忙しいからとなにも聞いてくれないし、教えてはくれない。
全てスタッフづてで、だいたいの情報を得ている。またポジティブに捉えれば、末端のスタッフよりも知的レベルが高い分、色々と警戒心やプライドもあり、私とベタベタしにくいという内心もあるのかもしれない。そして、ポジティブに捉えれば、スタッフとの関係づくりは比較的良好であるともいえる。医師、看護師、研修生、清掃スタッフ、倉庫担当、などなどの各方面のスタッフに好印象を持ってもらえており、「君はいい子だ」と言ってくれる人もいるし、「どうして、彼女とはセルフィーしたのに私と撮ってくれないのよ‼」とか言ってくれるスタッフもいる。本当に幸せである。
きっと、自分を受け入れてくれる人がいる場所があることは、相当恵まれて幸せなんだろう。
私が、苦慮してまでカウンターパートとの関係づくりに力をいそしむべきなのだろうか?いや、どうしてそこに悩まなくてはならないんだろうか?
と、ふと疑問になった。
ただでさえ、生きているだけで、多少ストレスを抱え、日本よりも疲れる。
その上、私がカンターパートとの関係づくりに力を尽くしてどれくらい赤ちゃんと家族にフィードバックできるのだろうか?もともと、私に与えられた時間は2年しかない。関係が良好だとしても、末端のスタッフたちが、私のことを良く思ってくれなかったら、いくら教授が言ったって、「教授の前ではやるけど、いないときはやらない。」という、いつものパターンになることが眼に見える。
もし、教授の了承がないとフィールドに行けないタイプの派遣の隊員はカウンターパートは命綱になりかねない。でも、ポジティブに捉えれば私はたとえどれだけ関係が悪化しようと、彼女たちが私に「もう病院に来ないでくれ」と言わない限り(人手不足のため現実的にあり得ないが…)、私は朝の8時から夕方の16時まで病棟にいられる。その中で、看護師や医師と関わり、赤ちゃんやお母さんたちと関われる。
そこにストレスを抱える必要があるくらいなら、一人でも今いる赤ちゃんたちやお母さんたちに「どう?元気?赤ちゃん可愛いね。少しずつ大きくなるから大丈夫だ」と、声をかけていったほうがいいのではないかという考えも出てきた。
そのことに気づいたら、非常に楽になった。
たぶん、国際協力の一般的な手法では…とか考えだしたら、私は正しい方法をとっていないであろう。でも、今、私が可能な最大限パフォーマンスを可能にするためには、いかに減らせる限りのストレスを減らしながら、力を注ぐべきは、これからモロッコで長く生きていくであろう、赤ちゃんとそのお母さん、若いスタッフ、若い医者たちにアプローチして少しでもいろんな可能性があることを知ってもらった方がいい。
仕事ではないから、結果が数字で出せなくても、研究結果がでなくてもいいのだ。ポジティブに捉えれば…私の活動が眼に見えなくても、モロッコの人たちに伝えたくて大切にしたいことをコツコツ2年間やっていくスタイルでもいいではないかという結論に至った。
いろんな意見を聞いて、多少その意見に振り回されることもあったが、現場にいるのは私だし、実際に活動するのは私なので、意見を聞いても自分の思うとおりにしようと決めた。
※カウンターパートとは、JICAのJOCV,SVにとって活動のパートナーとなる人のことです。
続く。