研修生たち

約1か月ほど研修に来ていた研修生たちが、金曜日で最終日を迎えた。

同じ学校の生徒でもクールによって雰囲気が全然違う。

また、病棟で研修を始めた当初と終わりの頃でも全然違う。

今回の子とたちは本当によく頑張っていた。

 

日本でいう看護学生の実習のようなものなのだが、教員や実習指導者などがつくことはなく、放置されているか、看護師の指図されるがままに、やることをやらされているという感じ。折角学ぶための時間なのに、本当に可愛そうである。

そのため、最低限の指導などは少しずつ声かけながら行うようにしている。

日本で新人指導少ししかしてこなかったが…「手洗いをしよう」「汚いからシーツ変えよう」「携帯を充電は病室でなく自宅でしないとダメだよね」「保育器が汚いから拭こう」など、最低限のこと。

でもその最低限が実際に働いているスタッフさえもできていないから、スタッフが言っても説得力がなく、そもそも言わない…学生も「全くこき使って…うるさいなぁ」という内心の様子。

だから最近は自分自身が模範となるように、学生に手洗いを指導し、シーツを交換し、勿論携帯は充電しないが…保育器を清拭し…態度で示し続けている。すると、コイツは言うだけでなく自分もちゃんとやってるし、間違ったことを言ってはいないと理解してもらえて、少しずつ手を洗ったり、保育器を一緒に拭いてくれたり…たまに「コーキー、ここはもう私が拭いたから大丈夫よ」などと頼もしく言ってくれたり。

いつもの流れだと、「あのシノワ(中国人)のスタージ(研修生)」と馬鹿にされるところから始まる。私はただでさえ日本人の中でも顔が童顔で、おまけに背も低い。モロッコ人から見たらなおのこと幼く見えるため、どんなに説明しても間違いなく研修学生と認識される。だから、別に私が怒って言っているわけではないのに、助言や指導をすると癪に障るらしい。モロッコ人全体に言えるわけではないと思うが、彼女たちに指摘をすると大体、仕返しをしてくるという非常に迷惑なところもある。患者のためにならないからやめてくれと言っているのに、「あんたのアラビア語はわからないし、フランス語もわからないわ」と言って馬鹿にして笑ったり、わざと怒らせようと挑発してくる。自分に余裕があるときは、どうしてこんなに人間として低レベルなんだ、残念だと思うだけで収まるが、自分に余裕がないと本当に頭に来てしまう。履いている靴を本人に向けて投げ飛ばそうかと思うほど腹が立つことも、たまにある。以前は本当に何を言っているかわからなかったから、馬鹿にされていても「あーなんか悪口言われてるな~」と思うだけであったが、今の私は中途半端に語彙が増えているため、相手の言っていっていることが、なんとなくわかってしまう。そのため、知らなければ幸せなのに…ということも。

そんな悔しいことも日常茶飯事だが、彼女たちの研修の後半には、いつの間にか、「あんたはいいやつだ。良く働くから、私何か手伝おうか?」と言ってくれた子もいた。嬉しさと動揺で一瞬耳を疑った。

また少し前に、看護長が研修生に「君は今日一日コーキーとペアで働いて学びなさい。彼女は日本の小児看護師だから。」と説明をしてくれた日があった。その一言があるだけで、彼女たちの私への態度が全然違う。彼女は最初から最後まで困ったら私に質問しに来たし、私のやり方も真似してケアをしてくれていた。

それでも学生たちは、また次の研修先に行けば元通りに戻って、椅子に座ってずっとスマホをいじっているかもしれない。でも、少しでも、患者さんのためにちゃんとケアをしないといけないんだと心のどこかに残ってくれたらいい。難しい。

そして、中途半端に話せることで、私に仕事を押し付けて違う部屋で休憩しているスタッフに対して苦言を申しつけることもできるようになった。元々モロッコ人は後腐れない人がほとんどであるため、ある程度スタッフと一緒に働いてきた時間がある今の私は、その場でちゃんと意見を言った方がその後その人といい関係が築けることが多い気がする。その場でガミガミ反論してきても意外と本人は後でしっかりと反省していることも多い気がする。あとになって「さっきは悪かった」と言ってくる人もいる。また、先日は、一人の看護師(そこまで仲良くはない人)が私に近寄り「あんたが保育器を拭いていると教授が褒めていたよ」と言ってきた。私は、気味が悪い、なんの意図があるんだと考えていると、「だから、保育器のココも拭いてほしいんだって」と言ってきた。「じゃあ、君がやれ」とは言わなかったが、私の表情にはそのように書いてあったであろう、返す言葉がなかった。

私は居ないほうがよっぽどいいのではと思う。職場では看護師や研修生から仕事を押し付けられることから逃げ回り、ひたすら保育器を拭いたり、哺乳瓶を洗ったり…モロッコ人はやってくれる人がいるならその人にやらせておこうという文化と習慣のある国だから、頑張っている人がいるから、自分も‼とは決して考えない。そうしたらやればやるほど、本人たちへ悪影響な気がしてならない…

 

そうやってモロッコ人とバチバチ喧嘩するようになってある日、日本人と電話しているときにも「ちょっと話を最後まで聞いてよ…現地の人みたいに…」と言われてしまった。

なんか、どんどん人として悪くなってる気がする。とても嫌だ。

すごく頑張っていた子たちとバイバイ。とても寂しい。またどこかで会えるといいな。

 

カサブランカの郊外にあった扉。どうしてモロッコってこんなに可愛いんだろう…

 

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続く。

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交通事故

先日夜の在宅中に、ドンガシャーンという派手な音が外から聞こえました。

 

ロッコは日本と比較して交通事故が10倍?などと言われています。

たしかに運転は荒いし、注意散漫で、先日もタクシー乗車中に危うく前の車に突撃する‼というハラハラしたこともありました。こちらの車自体、事故車両でもお構いなしで、ぐしゃぐしゃのまま使われている車もよく見かけます。

 

やれやれまた事故かぁと窓の外を見ると、なんと道路の真ん中に女性がうずくまっている‼周りに野次馬が囲んでいるが何の処置もされていない様子。とりあえず、家の玄関の鍵だけ閉めて、女性の元まで行った。

今のところ、意識ははっきりしているし、脈も触れる、血圧も保たれている。身体の中はわからないが、明らかな外傷性の出血はなかった。ただ、全身が痛いと言っていた。野次馬に話を聞くと、女性はバイクに乗っていて、交差点で車へ突っ込み、ぶつかった後にバイクが回転して地面に体を打ち付けてそのまま動けない状態との説明であった。彼女はちゃんとヘルメットをしていた。本当に、本当に良かった。こちらのバイクドライバーはヘルメットをしている人の方が少ない。もしもヘルメットをしていなかったら、彼女の状態は大きく変わっていただろう。

野次馬は沢山いるが、彼らは何もしない。とりあえず、野次馬がいるおかげで通り過ぎる車は、彼女をひくことなく避けてくれるくらいだった。たまたま、同じマンションに住んでてお世話になっているお父さんがいたため、彼に毛布をもってくれとたのみ、身体にかけたが、他の人に毛布をもってきてといっても誰ももってきてくれない。毛布なんていらないという。私が彼女の体に触れようとすると「触るな」といちいち言ってくる。そのたびに「私は看護師」と一人一人説明しないとガチャガチャ言ってきたり、私を彼女から引き離そうとしたりしてくる。こんなときも、モロッコ人は周りにいる人たちで一致団結して協力して彼女を助けようとしてくれない。

野次馬に確認すると、彼女の家族にも、救急車にも電話済みだと言っていた。途中で家族が登場する。途中で医者と名乗る男も登場した。だが、医者と名乗る男は、身体を動かすな‼彼女が意識を失わないようにずっと声をかけ続けろ‼と私に指示しどこかへ消えた。

こんなことに遭遇するたびに、私は、小児看護師だし、循環器と新生児しか知らないから、救命の現場に関しては一般人同様なもの。出国前に、駅で具合を悪くしている人がいたときも、すぐさま、近くにいた救命の看護師に助けを求めた。看護師なんて言えない。情けないし恥ずかしい。

とにかく、手を握りながら彼女に「救急車は来る。あと少しだ。救急車は来る。病院に行く。大丈夫だ。あと少しだ。救急車は来る。‥‥」とエンドレスで声をかけ続けた。循環と呼吸の確認をし続けるという対応しかできなかった。病院の外に出ると本当に無力である。

 

事故後15分後くらいに、救急車登場。(私としては、モロッコの割に早く来てくれたと思った。たぶん、場所が町のど真ん中であるからだと思われる。)

担架を彼女のわきにつけたと思うと、4・5人で身体を持ち上げ、ダイナミックに担架へドーン‼痛いと私が悲鳴を上げたくなってしまった。

救急隊も周りにいる人に状況を聞くでもなく、状態を確認するでもなく、とりあえずけが人だけを救急車に乗せて、病院へと走っていった。

 

 

ロッコの道を歩くのに慣れてきて、車の間を縫って道を渡って行くのに慣れてしまったけど、絶対に事故にあわないように気を付けたいと改めて気を引き締めた夜だった。

ここで、看護はしてもいいけど、患者にはなりたくない。

 

 

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トウキョウでもオオサカでもキョウトでもなく…サイタマ‼

サイタマ出身者としては嬉しくて思わず写真を撮らせてもらいました。先日の日本人祭にて。祭りに来た人たちはみんな日本マニアばかりだった。それはそれで面白かった。

 

続く。

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530日

帰国まで、あと530日あるそうです。

 

日本にいるときから日数を数えているのですが、数え始めは700日余りありました。気が付いたら500日台になったようにも感じます。それでも、確実に時間は過ぎていきます。

当初、モロッコに行ったら、フランス語の勉強は勿論、任国外旅行でスペインへ行けるため、スペイン語も一緒に勉強しようなどと考えていました。フランス語は、これから先にフランス語を使ってやりたいことがあったので、そのための事前訓練的な意味を込めての協力隊参加でもありました。また、もう一方で、在宅看護や小児障がい児の療育の世界も私にとってとても魅力的で、不器用な私は両方の道を選ぶことはできないからいつか自分で決めなくてはならないときがくるのだろうと思っていました。

でも、モロッコの小児病院で毎日赤ちゃんとお母さんたちとお話したり、退院後の外来で家族と再会したり…時間をかけてゆっくり関わるのが好きなんだとあらためて自分を理解する機会となった。そして、自分の道も見定まった。

 

ロッコ人はみんなフランス語や英語が話せる人でも基本的にはダリジャ(モロッコ方言アラビア語)を話している。それなのに、私だけフランス語を話すのは違和感がある。だから、病院の中や町の中でモロッコ人と関わるときは、極力ダリジャを使用して会話をしている。

 

あと530日、私はフランス語を捨てることにした。

捨てたらスッキリした。みな色々な背景や意図をもって協力隊に参加しているからそれぞれの考え方があるが、私はこの2年をモロッコの人たちのためだけに使いたい。そうやって過ごして日本に帰った後にどんな景色があるのか見てみたいだけ。

私はもともと語学がとても好きである。だから、ほっておいても、日本で英語の勉強をしていたし、モロッコ行きが決まってからはせっせとフランス語とアラビア語を少し勉強していた。自分の性格上、きっと日本に帰ってから、また英語とフランス語を勉強するのではないかと思う。と、記載して未来の自分を追い込んでおく…。

 

限りあるモロッコの時間を一人で勉強している時間に使うのは勿体ないという結論に至った。

 

ロッコの首都の大都会の中で、ここなりの方法で、精一杯、モロッコ人にまみれて過ごしてみようと思う。いつ帰っても後悔のないように。

 

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ここは旧市街横の墓地わきの丘の上。写真では伝わらないが、右側へ約270度くらい水平性があり、後ろにはびっしりと一面にお墓が広がる。なぜがここの景色はずっと私の心を惹きつけ続けている。そして、毎月ここに訪れ、モロッコで亡くなった子どものことを考えている。

 

続く。

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痒さと戦うか、病院に行くか…難渋

蕁麻疹が長期化し、さすがに怖くなり、泣く泣くクリニックへ行くことにした。

たぶん、もうステロイドしかない…

クリニックで「1週間前に魚を沢山食べた、種類は沢山。その夜から蕁麻疹が出て痒くなった、内服は特にしていない(抗ヒスタミン薬を1回飲んだが効かなかった…)」

というと、案の定、どうして1週間もほっておいたのだとブチぎれられた。なんの魚と食べたんだと聞かれても魚の名前までは勉強していなかった。事前に受診前に調べておくべきだったと反省。イワシ、タコ、イカ、ブリ系、その他沢山、フランス語でも英語でも勿論アラビア語でも知らない…パーティで沢山の魚介を食べたのだと伝えた。

そして、医者はいそいそと薬局へ電話し何かの薬を請求している。

私は不安になり、なんの薬を使うのか教えてほしいと聞くと「治療が終わったら、事務所に電話してレポートしとくから。あんたは喋れないだろ、注射する。」と言う。

終わってからでは遅いではないか‼と私の心の声。

「薬の名前を教えてほしい‼」というと、「あんたの主治医は私で、事務所から権利を得ている。文句あるか~‼」とのこと。

仕方ないので、バイヤル(注射の薬の入った瓶)を横取りしてみると、日本で自分も使ったことのあるステロイド

私の今の体重も知らないで、どんだけぶち込むつもりなのか…モロッコ基準よりも私だいぶ軽いぜぇ?…モニターもつけない(簡易SpO2モニターを自分につけようとしたら、却下された)…ますますわかってないではないか、怖い、私元々徐脈傾向なんだけど…たぶんすごい勢いでステロイドを静脈注射するのだろう…恐ろしい。

 

とりあえず、私の体重でこれ2個使うのは大丈夫なの?と聞いてみると、ひらめいたのか、体重を計ることになった。

すると、「あんたこんなにかるんじゃ注射できない。経口内服にしよう。でも、注射で一発と経口で少しずつ、どっちがいい?」と聞かれる。

すぐさま、「内服‼」と返答。

ステロイド剤、抗アレルギー薬、胃薬を処方されて、一応採血もするように指示を受ける。恐ろしかった。蕁麻疹が治らないのも怖かったけど、病院の受診も怖い。

物があるのに人間が追い付いていないモロッコ

 

 

先日、たまたま近所で日本人の仲間とソフトボールをしていたら、ライトフライの捕球時に眼鏡をかけたモロッコ人の顔面にボールが直撃してケガする現場に出くわすという事件もあった。

頭を打ったので、本当は頭の検査をした方が安心であるが、モロッコでその検査をできる場所があるのだろうか。そしてわざわざやったとしても、その検査がきれいにできているとも限らない。

その事件の帰りに、モロッコ人の方も、「モロッコの病院に行っても別に安心できるわけでない。みんなもっと良くなってほしいと思っているけど、現場は変わらない。私立の病院もいいとも限らない、お金を稼ぐことばかり考えている。前の保健省よりはましになったけど。」と言っていた。

 

市民たちが今の医療に満足していないのをスタッフだってわかってる。医療の質を変えようぜ‼というパッションを持っている人もいるけれども、なかなかその情熱が一部の人だけに限局してしまい飛び火してくれない。質の高いケアをする人はその人だけで周りは周り。

 

痒くて受診して仕事できないなんて、何してるんだか、私。

とりあえず、自分の健康。その次がモロッコの人たちの健康。

 

一人で全部はできないけど、何もしないよりはましだろうし、現状に真摯に向き合い続けて自分にできることを。

 

続く。

式典と祭りとおもてなし精神

ロッコでこの事業がはじまって今年で50周年だそう。

今まで先輩たちが頑張ってきてくださったおかげでなんとか私も今ここにいられている。感謝。

式典があるということで、ボランティアも何か出し物をしてほしいという依頼が入り、有志でソーラン節を踊ることになった。約1週間前から練習開始。YOUTUBEの練習動画を参考に10名程度で練習した。動画を見たときから危機感を持っていたが、ソーラン節は態勢を低くした動きが多く、足腰への負担が大きい。運動不足の私。

案の定、練習開始2日目、3日目には筋肉痛のピークがやってきて、みんな階段を上るにも手すりに寄りかかりながら、ヨタヨタと昇り降り…。そのうち筋肉痛は消退し、太ももは一回りたくましく成長した。

初めは、フリを覚えるだけで精いっぱいだったが、少しずつ顔の向きや手の高さ、腰の高さなど細かいところまで詰めて合わせられるようになった。少しずつ連帯感が出てきた。

また、アラビア語、フランス語、日本語の合唱も実施した。

久しぶりに歌を歌いとても気持ちがよかった。運動して声を出して、みんなでご飯を食べて、とても健康的な生活をした1週間であった。幸せである。とても楽しい1週間であった。また、他の地域の隊員さんとたくさん話すこともできたし、一緒にダンスの練習をすることを通して、彼女たちのパーソナリテも以前よりも随分見えてきた。たまたまなのかもしれないが、今までほとんど話したことがなかった人に限ってとても素敵な方が多かった。

同じ国にいても、いる場所の環境もやっている活動も全然違うから、なかなか分かり合えるものではないし、気の合わない人もいるけれども、少しは分かり合える仲間がいたほうが楽しいのだろう。

練習の甲斐あってか式典のソーラン節と合唱は無事に終えることができ、モロッカンからも、ダンス良かったなどとの声を聴くことができてとても嬉しかった。

 

その2日後に大使館主催の日本祭りがあり(毎年開催)、ボランティアブースを設けて、浴衣の着付けと射的、習字体験などを行った。私は浴衣を自分で着ることはできるけれども、人に着せることは初めてであり、手間取ったりもしたが、何しろ一日中人に着付けていたのでだんだんと上手くなり、最終的には帯にアレンジを加えたりして勝手に楽しんでいた。

日本祭りに来るモロッコ人は、ベースとして親日であるという特徴があるため、「こんにちは、きものきたいです」とか、「ありがとうございます」などなどの日本語で話しかけてくる人も多くいた。流暢に日本語を話すモロッコ人は、日本人のようにぺこぺことお辞儀をしたりする姿もみかけることがあり、少し微笑ましかった。

日本語教師として派遣されている方の話によると、日本語を流暢に話せるようになればなるほど、日本人のような仕草や性格になっていくとのこと。モロッコにいながら、言葉を通して、仕草なども日本人化していくのはとても不思議であると同時に面白いと感じた。

 

その日の夜は、あと数日で日本に帰られるシニアボランティアさん(40歳以上の隊員さんを呼ぶ)が、他のシニア隊員さんの自宅で、食べきれないほどの日本料理を作ってふるまって下さった。

しかも、私たち若者たちは、事務所からの支給額がシニアさんと違って安いため、売っていたとしてもなかなか魚介類に手が出せないということを知っているため、あえてこちらで高額の海鮮を沢山使った料理ばかりを作ってくださった。他の隊員は「これは、シニアの本気料理」と言っていたが、本当にその通り。あと数日で自分も帰国するという貴重な時間にも関わらず、朝から市場で魚介から野菜まで買い込んで、仕込みをして、夜ご飯をふるまって下さった。

もっと早くお会いして、もっとたくさんのお話を聞きたかったなぁ。とっても素敵な方で、みんなのお母さんのような方だったよう。彼女と出会えてよかった。

 

これくらい懐の大きい人になりたいなぁ。

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ごちそうさまでした。

また、がんばる。

 

このあと、久しぶりの生魚に身体がびっくりしたのか、ただ疲れてたのか、なんだか知らないが、体中に蕁麻疹が出て、一晩中身体が痒くて熟眠できなかったのは、内緒。

 

続く。

疲労の原因

こっちに来てから、なかなか気力がもたなくて、たった週5、7時間病院にいるだけで、-しかもそれは日本の労働量と比にならないくらいまったりとしたもの-非常に疲れる。

ただ、運動不足で体力が落ちているのかなとか、やっぱり異国に慣れたと思っていても、まだ慣れていないのかな、とか、色々考えらえる疲労の可能性は沢山あったから、きっとそのせいだと思っていた。恐らく、その影響もあるだろうが、自分の中の主な原因が突き止められた。

恐らくは、看取りが多すぎることにより、自分の精神的な苦痛がなかなか消化しきれないことにあるのだという結論に至った。

多い日は一日2件とかある。

こっちでは家族のメンタルサポートを積極的にしようという心はあんまりない。こちらの人は沢山子どもをうむから、そのうちの何人かはダメだったという人の話も聞く。スタッフもまた次を産めばいいというようなことを言い母を励ましたりもしている。でも、子どものベッドサイドで涙を流している母親を一人になんてできない。私は、ひたすらずっと横にいたり、軽く会話してタッチングを促したり、母親の背中をさすったり、手を握ったりしている。お祈りしながら子どもの体を触っていたり、涙を流し続けたり、呆然と表情を硬くしたり、人ぞれぞれであるが、みな苦しんでいる。その時間の重さと言うのは、時間がとまったように感じるほどこちらも辛い。お腹の中に子どもがいると自覚したときから女性は既にお母さんになっている。生まれてからの歴史ではない。

別に看取りの方向性でなくても、点滴1本、経管栄養チューブ1本だって、採血の後の絆創膏一つだって、母にとっては苦痛である。

 

一人でやるからこんなに疲れるのかとも考える。

でも、元気になって退院した子どものお母さんたちは私のことを覚えていてくれて、つい先日も出勤時に外来で私を見かけて声をかけてくれて「うちの子と写真撮って」と、子どもに「ほら、コーキーよ、あんた」と言って聞かせたり、大きくなったでしょと言い私に抱っこさせたりしてくれる。

その瞬間の嬉しさは新生児看護師の冥利に尽きる喜びなんだが、現場のスタッフはそこまで一人一人の患者への思いはないようだ。

そういうのが新生児看護師の幸せなんだけど、なぁ。

でも、疲労の原因がわかったから、その量を自分でコントロールすればなんとか2年間いられるだろう。

 

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こっちの伝統的な服を買ってみた。なかなか気に入った。町の中の仕立て屋さんに、裾上げしたいとお願いしたら、くっちゃべりながら30分くらいかけて…やってくれたが、しゃべってるうちに仲良くなって、結局お金はいらんよと言ってくれた。すごく素材のいい服を仕立ててたから、いつか買いに行くよ。たぶん。

 

続く。

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復活

しょっちゅう急変はある。

大概の場合、一回目にはアドレナリンを使用して回復。しかしその直後、二回目の時には、回復できずそのまま看取りとなることが多い。また、もし二回目に回復できたとしても、その日の夜を越せることはほとんどないように感じている。急変時の対応については、つっこみどころ満載なのだが、何を言ってもこれでいいんだと話を聞いてもらえない。仕方ないので、私は必要なものを走って取りに行ったり、邪魔なものをどかしたり、そんなことをすることが多い。

 

その日も、朝から多数のスタッフに囲まれて、吸引、酸素、マスクバック、胸骨圧迫などあれこれした上で、回復できない子がいた。しかし、アドレナリンを入れて回復。

その数時間後に再度、心肺停止して、同様の蘇生をされている。今度は回復しない。医師はいつものごとく「もう終わりだ、何もしない」と言い、子どもの元を離れていった。処置の激しさで、身体に血がついている。看取るにしてもこんな血まみれな姿でお母さんたちに引き渡すなんてどうしても耐えられないし、独りぼっちになんてさせたくないので「身体をふいてあげてもいいか?」と医師に聞くと「それはいいね」と言ってもらえた。

湿らしたガーゼで身体について血液を拭きとりながら手をぎゅーっとにぎり頭をなでなでして「がんばったね~、えらいね。あなたが大好きよ」などと日本語で話しかけていたら、なんと身体が動いた。びっくりしてモニターを確認する。

モニターを見ると心拍数が少しずつ上昇し酸素飽和度が少しずつ上がっていく。

数分後には、酸素飽和度100%、心拍数140回/分。眼を疑った。モニターを疑った。何かシステムの誤作動かなんかかと。

赤ちゃんは何事もなかったかのような顔をしながら規則的な呼吸をして寝ている。

こんなに長時間にわたり脳の低酸素状態が続いたから、色々と心配はあるけど…なんの薬を使うこともなんの処置をすることもなく、ただ身体を拭いていたら、復活した。 

何より、私が一番びっくり。気が動転して狼狽える。少し怖かった。

 

この子の生命力の強さと生きたいという意思の強さをひしひしと感じる。たぶん、とっても強く生きたいんだろうなと考えていた。

とりあえず、主治医をひっぱってきて「見てこれ」と言うと、「あら、コーキー(私のこと)、トレビアン」と言って去っていった。

付き添いしていた母が急変の間、離席させられていたので、廊下の母に大丈夫だと伝えた。 

看護長に呼ばれ「ちょっとまってくれ、今子どもが大変なんだ」といっても聞いてくれず「いいから、とにかく、会議だから来い、来い」といわれ、不安ながらも離席。一人になったら、寂しくて具合が悪くなったらどうしようと心配だった。

でも、私が帰宅する前も、すやすやと寝ていた。

 

翌日。

朝、ベットがあった場所に子どもがいない。付き添いしていたその子のお母さんが荷物の整理をしていた。声をかけるが表情が非常に明るい。

私は状況が全く読めず、周りをよく見ると、子どもがベッド移動されていたようだった。なぜか保育器から脱出し、赤ちゃん用の小さいベッドにいた。しかも酸素も使用せず点滴1本で過ごしていた。どうして保育器からわざわざ出したんだ?それよりも、どうしてこんなに元気なんだ?本当に昨日と同じ子か?

何があったんだ。モロッコには不思議なことが溢れている。きっと、これも全てアッラーのおかげなんだろう。全くわからないが、とにかくこの子の生命力は強い。

赤ちゃんって本当にすごい。

 

その翌日。

今度は、その病室にその子の姿がない。私は勝手に、さすがにもう駄目だったのかな。と思っていたら、重症部屋の方に母がいて、移動になってこっちに来たんだと言っていた。そして、こどもの面会中に、呼吸器のアラームにとらわれることなくイスを並べて足を延ばして爆睡する母。

いや、子どもも図太いけど、母が図太いから子も強いのかもしれん。たぶん、少しずつ具合は悪くなっていくだろう。

でも、この子はとっても強いし、意思の強さをひしひしと感じる。

 

 

 

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写真は今回の内容には全く関係ないけれど、先日、電車の車体にとてもきれいな宣伝があったから思わず写真を撮ってしまった、その写真。しかも、この列車には乗らなかったんだが…。

 

続く。

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