姿なき先輩隊員の一言

顔も名前も知らない。いつどの地域でどんなことをしていたのかも知らない先輩隊員さん。

先輩隊員さんは、日本にも世界にも沢山いて、隊員経験者だと公言している人もいればひっそりと身を隠している方もいる。モロッコに来る前にも日本にいる数名の先輩隊員さんとつながりを持つことができたし、モロッコに来てから出会う日本人や大使館関係者などの国際機関に勤めている方の中にも協力隊経験者はいる。

普段つながることはないであろうが、この世界(協力隊員仲間)は狭い。

 

毎日活動がしんどいし、でも、活動と言っても、例えば病棟の中を走り回ったり高齢者の体位交換ばかりしているわけでもないから、体力を消耗している感じではないのに、非常にしんどさを感じる。

でも、自分でこのしんどさを正しく言葉で表現できないし、どうしてこんなにしんどいのかもよくわからない。今は、ずいぶん軽くなったがそれでもよくわからない。

 視察の後に、急激に体調が悪化して、朝起きただけでも涙が止まらなくなったりして精神のバランスが急激に崩れた実感があった。これは、今すぐに休みをとらないと取り返しがつかなくなる可能性があると危機を感じて休暇をとる決心をした。木金を休めば4連休になるという日であったため、「とりあえず2日休ませてほしい。問題が沢山ある。…」と普段お世話になっている方でない看護長に切り出したぶん2時間ほど話し込んだ。

彼はいつも、もう一人の看護長に私に関係することを一任していて、私としては2人とも看護長で同じポストだから両方に同じように相談したり、意見を伺ったりしたいのだが彼は「俺にきかんくても彼女に聞けばいい」というスタンスをとり続けている。

正直、私がアプローチしても変わらないのなら仕方ないし、無理強いするのは好きでないので、いつも「これは私のただの意見だからとりあえず言うだけ言うけど、あとどうするかは看護長に任せるよ」というスタンスでやり取りしていることが多い。

でも今回はそうはいかなかった。もう一人の看護長がようやくとれた遅めの休暇中であり、もはや今看護長のポストは彼しかいない。いつもは都合よく逃げ回る⁈彼だが、今回は逃げずに話を聞いてくれた。本当に感謝している。

学生やスタッフが仕事を押し付けておいて休憩していたり、手洗いをしないスタッフだらけだったり、スタッフ同志で喧嘩していたり、眼を覆いたくなるほど無残な姿になるまで蘇生されて亡くなっていったり…

そういう小さなストレスが積み重なって限界を迎えていたようだった。休んで本当に良かった。

休んでいる間、人に相談したら、「家族に相談した方がいい」「4日間だけでなくもっとがっつり休みをとったほうがいい」などのアドバイスも得てすごく悩んだが、4日間家で休む中で、やっぱり仕事自体は好きだからやっぱり働きたい…お母さんたちが一人で泣いている姿が浮かんでしまいどうしても仕事しに行きたくなってしまった。あと、家族に相談しても「自分で決めなさい」と言われた後で家族たちは信じられないほど私のことを心配することになるのだろうと思うと気が引けて伝えることはできなかった。

そんなこんなでとりあえず、月曜日には仕事復帰した。周りの友達たちも、私のことを相当心配?噂?していたようで、みんなに「良く来てくれた、もう働くのか?寂しかったよ」などと声をかけられた。とても嬉しかった。彼らのためにも自分にできることを全うしたいと改めて思った。

でも、朝一で看護長に週5勤務から週4勤務に変更してほしいと伝えた。私にはとてもストレスで自分の健康をこの勤務のまま保てないと伝えると、教授に問い合わせなさいと言われた。その後、教授に私が聞こうとするとき看護長は何を言うでもなくそっと横にいてくれた。たぶん、教授に私がとやかく言われた場合は弁明しようとしてくれていたように見えた。その前に看護長としっかりと話ができたことで私のことを前よりもわかってくれたような気がしてとても嬉しかった。根本の解決は全くしていないが、とりあえず週4の水曜休みがあるだけでもずいぶん気持ち的にも負担は軽くなった。ひとまずは良かった。

それでも、どうしてもやる気が起きず、どうしてこんなことしてるんだろう。ただの日本人の押し付けではないか。モロッコ人はモロッコ人なりの中で頑張っているし、全てアッラーが決めると言っているし、それでここの世界が成り立っているのであれば、もうこのままでいいのではないか。私が次にやりたいことも定まったし、人生の時間は有限、日本に帰って好きなことをやったほうがいいのでは。とも考え思い悩んでいた。

そんな、にっちもさっちもいかずに、とぐろをまいたような生活をしていた中で、他国の隊員仲間の人からの情報収集依頼に協力する中で、隊員経験者の先輩の方の言葉を得ることがあった。その中で彼女は、【…自由に考えて…せっかく日本でないところに来てるから…そんなことを考えている時間があればもっと村人のために…時間を大切に…】 と言う内容を言っていた。あんまりしっかりと引用できないのでざっくりというとこのような話であった。

すごくズバッとしたものの言い方で、しかもそもそも私に向けられた言葉ではなくその内容を私は人に伝える役目であったのだが、彼女の考えが私の心を刺した。同じことを言われても人が変わったり聞いた時の状況が変わっただけで、劇的に自分に刺さるときがある。その刺激的に自分に刺さる言葉であった。貴重な時間であったということを改めて気づかせてくださった顔も名前も知らない彼女には感謝しかない。

私は大都会のど真ん中で、村人とずっといる隊員さんたちとはずいぶん違う場所と違う活動をしているけれども、それでも自分がなんのために来たのか、改めて考える時間を頂いた。

それでも自分がやっていることが正しいのかモロッコにとって良いことなのかわからない。

 

1か月以上いた双子の一人(もう一人は先に退院している)が晴れて退院となった。とっても嬉しかったが、本当に寂しい。

始めに出会ったときには二人そろって注入していた。お母さんは子どもが心配で泣いていた。「うちの子ミルクが飲めない」と。

母が付き添い入院をして寝られずに疲労困憊していた日。「いつもどっちかが泣いていて寝られない」と。

週数が成熟するにつれてたまに吐きながらも少しずつ飲めるようになって、少しずつ体にプクプクお肉がつきはじめる。二人がおっぱいを飲めるように抱っこの仕方やおっぱいの支え方を伝えて手伝ったりした日。

頭の検査で異常がないと安堵した日。

小さい身体ながらもいっちょうまえにミルクをごくごく飲むようになった日。

「キロハムサミヤ‼」(1500g)と母が歓喜した日。

私にできることは少ないけど、この子たちを感染で絶対に死なせやしないと強く思いながら彼女たちの保育器を拭き続けた毎日。

外は寒いからと母は心配し毛布にぐるぐる巻きにされて本人が埋もれかけながらも‥今日無事に退院。今頃家族みんな揃ってお祝いをしているのだろう。

 

別にこの子だけをケアしているわけではなくみんなに関わっているが、本当に寂しい。その寂しさには私がお母さんや子供たちと過ごした時間と彼女たちへの感情がある。この感覚はモロッコの看護師には伝わらないであろう。眼に見えない会話や心のつながりが看護だという定義はここにはない。

 

問題は何も解決しないけど、とりあえずここに居られる限りは時間を大切に。

 

windsurfingをはじめてから6年たったそうだ。6年前に材木座で初めてwindした日。

ここ1年は海に出られていないけど、私に沢山の思い出と教えをくれた海。

初めての海外旅行といってもwind仲間とサイパンへ。そこで出会った某旅行会社に勤めている日本人の女の子に言われた「何があったって笑っていればいいんだよ、そうしたら何とかなるよ」に次ぐくらい刺激的な言葉をくれた先輩隊員に感謝するとともに…

 

ウィンドしていなかったら、今自分はどこで何をしてただろう…

f:id:kei-iinuma:20171209063456j:plain

冬の夕日が好き。

 

続く。