式典と祭りとおもてなし精神

ロッコでこの事業がはじまって今年で50周年だそう。

今まで先輩たちが頑張ってきてくださったおかげでなんとか私も今ここにいられている。感謝。

式典があるということで、ボランティアも何か出し物をしてほしいという依頼が入り、有志でソーラン節を踊ることになった。約1週間前から練習開始。YOUTUBEの練習動画を参考に10名程度で練習した。動画を見たときから危機感を持っていたが、ソーラン節は態勢を低くした動きが多く、足腰への負担が大きい。運動不足の私。

案の定、練習開始2日目、3日目には筋肉痛のピークがやってきて、みんな階段を上るにも手すりに寄りかかりながら、ヨタヨタと昇り降り…。そのうち筋肉痛は消退し、太ももは一回りたくましく成長した。

初めは、フリを覚えるだけで精いっぱいだったが、少しずつ顔の向きや手の高さ、腰の高さなど細かいところまで詰めて合わせられるようになった。少しずつ連帯感が出てきた。

また、アラビア語、フランス語、日本語の合唱も実施した。

久しぶりに歌を歌いとても気持ちがよかった。運動して声を出して、みんなでご飯を食べて、とても健康的な生活をした1週間であった。幸せである。とても楽しい1週間であった。また、他の地域の隊員さんとたくさん話すこともできたし、一緒にダンスの練習をすることを通して、彼女たちのパーソナリテも以前よりも随分見えてきた。たまたまなのかもしれないが、今までほとんど話したことがなかった人に限ってとても素敵な方が多かった。

同じ国にいても、いる場所の環境もやっている活動も全然違うから、なかなか分かり合えるものではないし、気の合わない人もいるけれども、少しは分かり合える仲間がいたほうが楽しいのだろう。

練習の甲斐あってか式典のソーラン節と合唱は無事に終えることができ、モロッカンからも、ダンス良かったなどとの声を聴くことができてとても嬉しかった。

 

その2日後に大使館主催の日本祭りがあり(毎年開催)、ボランティアブースを設けて、浴衣の着付けと射的、習字体験などを行った。私は浴衣を自分で着ることはできるけれども、人に着せることは初めてであり、手間取ったりもしたが、何しろ一日中人に着付けていたのでだんだんと上手くなり、最終的には帯にアレンジを加えたりして勝手に楽しんでいた。

日本祭りに来るモロッコ人は、ベースとして親日であるという特徴があるため、「こんにちは、きものきたいです」とか、「ありがとうございます」などなどの日本語で話しかけてくる人も多くいた。流暢に日本語を話すモロッコ人は、日本人のようにぺこぺことお辞儀をしたりする姿もみかけることがあり、少し微笑ましかった。

日本語教師として派遣されている方の話によると、日本語を流暢に話せるようになればなるほど、日本人のような仕草や性格になっていくとのこと。モロッコにいながら、言葉を通して、仕草なども日本人化していくのはとても不思議であると同時に面白いと感じた。

 

その日の夜は、あと数日で日本に帰られるシニアボランティアさん(40歳以上の隊員さんを呼ぶ)が、他のシニア隊員さんの自宅で、食べきれないほどの日本料理を作ってふるまって下さった。

しかも、私たち若者たちは、事務所からの支給額がシニアさんと違って安いため、売っていたとしてもなかなか魚介類に手が出せないということを知っているため、あえてこちらで高額の海鮮を沢山使った料理ばかりを作ってくださった。他の隊員は「これは、シニアの本気料理」と言っていたが、本当にその通り。あと数日で自分も帰国するという貴重な時間にも関わらず、朝から市場で魚介から野菜まで買い込んで、仕込みをして、夜ご飯をふるまって下さった。

もっと早くお会いして、もっとたくさんのお話を聞きたかったなぁ。とっても素敵な方で、みんなのお母さんのような方だったよう。彼女と出会えてよかった。

 

これくらい懐の大きい人になりたいなぁ。

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ごちそうさまでした。

また、がんばる。

 

このあと、久しぶりの生魚に身体がびっくりしたのか、ただ疲れてたのか、なんだか知らないが、体中に蕁麻疹が出て、一晩中身体が痒くて熟眠できなかったのは、内緒。

 

続く。