久しぶりの初めて

イード休暇までの期間が夏のバカンスシーズンの雰囲気です。たぶん、もう少ししたら、日常生活に戻ろうかというところなのでしょう。

いつも、面会受付から入退院管理、ベットコントロールまでを一人でこなすとても働き者のスタッフがいる。私は、以前からもしも彼が風邪をひいて休んだりしたら、病棟はグチャグチャになり、きっと機能しなくなるのだろうと予測していた。

そんな彼もバカンス休暇となり、病棟から姿を消した。予想外に、セキュリテに関しては守衛室から番人を交代で駐在させ、彼らに少しずつ勤務を内容を副師長が指導して、何事もなかったかのように病棟がまわっていた。今まで誰かがいなくなると、彼女がいないから仕方ないんだと言い訳をしたり、人のせいにしている場面をよく目撃していたが今回はしっかりと彼の休暇をカバーする対応がなされている、感激したことは言うまでもない。

そんな代理できたセキュリテの人と話していると、二言目に「君はムスリムか?」と聞かれた。「いや違うよ。とてもリスペクトしているけど。あなたはムスリムでしょ?」と言うと、予想外の返答があった。

「実は、内緒だが、私はムスリムではないんだ。」と言われた。

驚き過ぎてなんと返事をしていいのかわからず、「ええぇ~‼‼‼それ、ほんと?で、あなたの宗教は?」と質問すると、

「クルスチャンだ、モロッコにもわずかにいる。でも、これは内緒なんだ。」と言っていた。

ラマダンもしない、モスクへの礼拝もしない、モロッコ人がいるなんて。確かに、統計上ほんのわずかにクルスチャンがいることは知っていたが、きっと移民や仕事で出稼ぎできている人たちのぶんなのだろうと考えていた。もうずいぶんこちらになじんできており、だんだん初めて見た聞いたということが少なくなってきたのだが、私にとって多少衝撃的であった。

聞くと、彼の片親はドイツ系で彼らがクリスチャンであるから、彼の家族はみんなクルスチャンだそうだ。確かに顔つきがいくぶんヨーロッパに近いようにも感じる。

きっと少数派マイノリティとして、少なからず苦労があるのだろう。その苦労を知っているからこそ、それ以来、ムスリムでない私に親切にしてくれるのだろう。

私は2年で帰国するが、彼はほとんどがムスリムの中で恐らく生涯生きていくのだろう。ラマダーン中などはとても生活しづらいはずだ。彼は勿論、モロッコ方言アラビア語を話していた。アラビア語にはイスラム教と関連した語彙が日常的に使用されており、私も彼らと会話するときには使用しているが…彼はその言葉を使うのだろうか…

彼に聞いてみると「神が望むなら」「神様のおかげで」という言葉は使用しないと言っていた。私は信仰心からではなく、彼らの口癖として移ってしまっているためアラビア語を話しているとつい話の流れで「神が望むならね(本心としては、気が向いたらねとの思いで使用)」とか「神様のおかげで(日本人の『お陰様で』のニュアンスとして使用)」しまくっている。

 

きっと顔も人種も違って、明らかに違う思想をもっているとぱっと見で理解されて、しかも2年間の期間限定の私の方が彼よりもはるかにモロッコで生きやすいだろう。

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続く。