ちょうど一年前…

先日、同期の訓練生と電話で喋っていたところ、「そういえば、ちょうど一年前ぐらいに合格発表だったよね~」といわれていろんなことを思い出した。

 

一年半ほど前。

願書提出のために、職場の図書館のパソコンに向かって眠い目をこすって夜な夜な願書を作成。たまたま、隣の病院の先輩看護師に遭遇。助けて下さいと頼み込んでその場で願書の添削をしてもらった。彼は私の比にならないくらい忙しい方なのに、翌日にも時間を割いて見ていただいた。本当に新人時代からお世話になっており、感謝である。ただひとつだけ後悔がある。「お前、もういいよ。お腹すいたから今から飯食いに行くぞ!飲みに行こうぜ。」と誘っていただいた。にもかかわらず、願書がそれどころでなく、期日も迫りまだ願書ができてないからといい、とても飲みに行きたかったが断ってしまった。これからますます活躍していくことの間違いない人で、一緒に飲みに行くのはもっと難しくなるだろう。非常に後悔している。そして多分本人はそんなことを言ったことも覚えていないだろうが、2年後是非ともお願いしたい。図書館でたまたま先輩にあったり…このころから確かに運が私を味方してくれていた。

 

1次試験合格。同業者では確か3/4くらいの受験者が合格しており、倍率は4倍から2次試験では3倍くらいであった気がする。

 

2次試験の日にちは6日間の間のどこかになるか、ぎりぎりまでわからなかった。どうしてもわからないから6日間休みを入れて、後で実際の試験日以外は日勤をするからと看護長に交渉するが、「あなたが個人的にやってることでしょ、5日間で希望だしなさいよ…」と。そんなことを言われたため、休み希望が入れきれず、賭けをして1日目から5日目までの最大の5日間をとった。すると、なんと休み希望を入れていなかった6日目が自分の試験日になってしまった。これではせっかく1次試験を通ったのに、2次試験に行けない。勤務交代も考えたが厳しいシフトであった。なんでたった1日、風邪ひいたりインフルになったら休め休め言うのにこういうところで融通効かないというか…色々と思うところがあった。

諦めていると、主任から電話、「●●さんが急に具合悪くなって、仕事できなくなったから、△を出勤してほしいの、代わりに★を休みにするから」と。その★は試験日。なんという幸運‼

「はい、もともと★は予定を入れたかったのでありがたいです。△仕事しまーす」と返答。ぬか喜びもつかの間残酷にもその直後、「やっぱりさっきの電話辞めにして休みの日××にしてくれない?そのほうが、**さんの勤務が…」と言われたが「主任‼どうしても、どうしても、★の日の休みが必要なんです。その日は実は試験日なんです。どうか行かせてください、一生のお願いです。ほかの日に全力で働きますから‼」と体育会系の頼み込みに主任が折れて、再度の勤務交代の拒否に成功。

そうして、幸運にも2次試験への参加をもぎ取った。試験倍率は単純には3倍だが、自分の職歴と学歴で全ての任地に行けるわけではなく可能そうなのは5箇所くらいしかなかった。他の人がどうなのか知らないから倍率がどれくらい高くなるのか計算できない。でも、この流れの展開を思うと、もしかしたら行けるのではないかという気もした。

 

1年1か月前、2次試験。

周りの人たちはガチガチに緊張しているか軍人のように固く体中を固めてそうな面持ちか、緊張しすぎて多弁な女の子やら。試験なんて久しぶりだなと思いながら、緊張することもなく「まぁ、受かったらどこかへ行けばいいし、落ちたら、在宅医療、保育やリハビリ、療育の勉強しながら、好きなところで働こ~。別にこの試験に落ちたって死ぬわけじゃないし~」という軽い気持ちで試験に臨んでいた。

試験、中でも面接類は昔から得意だし、緊張しない本番に強いタイプであった。

周りの同業者の子に●●でるそうで、昨日調べたんです、私2回目なんですけど、やっぱり緊張しちゃう…と言われて、『あ~説明会の時にそこについて説明できるようにしておいてください』とか、そんなこと言ってた気がすると思い出したが、今更気にしないことにした。隣の男の子は緊張しているのか、人見知りなのか…(看護師なのに)、話しかけてもなかなかスムーズに返答が来ず、少しずつ話していくうちに色々と教えてくれるようになり、最終的には、「僕は保育園を建てたいんです。」と、論語の本を読みながら言っていた。なかなか受験生のキャラクターは強くて面白かった。今思えばだから訓練所もあのような状況になるのだと納得する。

そして、面接の順番は、遠くから来ている人から行われていくようで、同業者の受験者数が多く、電車1本で急行に乗れば1時間以内で会場に到着する私の面接は、最後から2番目だった。待ちすぎて疲れた。緊張どころでない、眠かった。試験官だって疲れているだろう。長い間の待ち時間であり、最後の方には控室担当者の人と私の後の最後に面接する子と雑談していた。

 

試験から合否の発表までが1か月ほどあった。

長い長い…長い。いろんな人に「ねぇ、結果どうだった?どこの国になった?」などと聞かれて、「まだだよ」いや私も早くどうなったのか知りたい。もうどっちでもいいから教えてくれ、と内心思っていた。

 

1年前の試験発表日。当日は、2交代夜勤の入りの日であった。

午前中から何度が合否発表のサイトページを開くが全然出てこない。諦めて夜ご飯を作り、夜勤グッツをもって、仕事場へ出勤。夜ご飯を食べながら、携帯でサイトを開くとなんと出ている。自分で見るのが恐ろしいため、たまたま同じタイミングで休憩になっていた同期の友人に「ねぇ、◎◎◎◎番の番号がないかさがしてくれない?」とさらりと頼んでみる。

するとすぐに「うん、◎◎◎◎でしょ、あるよ?」と言われる。「え?まじ?ちょっと、かして、みせて」と言い、見ると本当にあった。怖いからダブルチェックして、と受験票と照らし合わせて、本当に正しいことを確認。

「やった~‼‼」と叫びあがり、周りの何も知らない同僚にドン引きされたという思い出。

 

そして、そのとき、「面接のときにモロッコはどうですか?」っていわれたなぁ、たぶんモロッコなんだな…と内心確信していた。

翌日夜勤明けで自宅に帰ると速達が到着。

 

開封する。やっぱり派遣国はモロッコだった。

 

色々な人に合格の報告をしたが、父に「受かったよ、モロッコになったよ」というと、父「おお、もう場所もわかるんだ~中国の上かあ~」。『それ、モンゴルでしょ』とすかさず返答。私以外家族は日本から出たことがないから仕方ないか…。

 

初心に返るとは大事である。

何よりも今自分がここにいることの有難さと貴重さ、気持ちがあって行きたくてもいろいろな事情で涙をのんだ人が沢山いる。そう、面接官に私は「フランス語圏でも、語学は行けば何とかなるだろうし、大変なことだらけだと思うけど、とりあえずどこでも何でもできることはやりまーす」と威勢よく言ったのだから。

 

 

続く。