時間
よく子どもを生むと自分の母親の偉大さがわかるなどと言われることもある。
私は今のところまだ子育てをしたことがないが、世界中のお母さんたちが偉大なのはとてもよく感じる。もちろん、お父さんたちも偉大である。
子どもの頃、何かに挑戦したけどうまくいかなかったことを悔やみ「こんなことになるんだったら始めからやらなければよかった。時間の無駄だった」と、随分大人ぶったことを母に伝えたことがあった。
そうするとすごい勢いで母は怒りだして、「どうしてそんなこと言うの‼二度と言っちゃいけない!あのね、無駄な時間なんて無いんだからね‼」
と激怒されたことがあった。
私の中学生の時の人生設計では、
18歳高校卒業
20歳で学生結婚
21歳で看護学校卒業
23歳で第一子出産
25歳で第二子出産
28歳で第三子出産
その後は子育てしながら仕事をするという目論見であった。40・50歳代になったらきっと孫に囲まれて楽しくやっているだろうと…
母に子どもをうむんだったら若いうちのほうが体力があって楽だよ…とささやかれたこともあった。母は23歳で私をうみ、26歳で妹をうんでいる。
大人になり色々なことを知り、考えが大きく変わり、こんな世の中に自分の子どもを残したくないと思うようになった。たとえ万が一、誰かと結婚したとしても、子どもはもうけずに夫婦で時間を過ごしていこうと思っていた。
実際の人生は、
18歳高校卒業。高校生活は心底つまらなかった。看護学校に入学するためだけに通った。ある意味で忍耐強さを得た3年間であった。子どものころから長女だからなのか、何かといつも我慢していることが多くて、大人になって自分でできるようになったら海外旅行(なぜかマチュピチュとスイス)に行きたい。海の近くに住んでみたいという願望が強い子どもだった。このころまでは自分のしたいことできなかったり学校の決まりなどが多くてとても息苦しい生活に感じていた。
21歳看護学校卒業。色々と自由が利くようになり楽しかった。看護大学に編入したかったが、相談した先生が悪かったのか、ろくに私の考えを聞くこともなく「それよりもまず国試をなんとかしなさい」と言われた。今考えると悲しい話だ。
23歳仕事がきつくて、違う仕事をこっそり探す。看護師で海外に行くことなんてすっかり忘れている。いや、そんなこと言ってる場合ではないと思っていた。
20代後半は比較的真剣に仕事をする。産科病院、移行医療、在宅医療、療育などを少しずつ勉強して、少しずつ仕事が楽しくなってきた。職場でお昼休みに【なんで看護師になったの話】をしていて「そういえば、本当はJICA行きたかったんですよね…でも私英検3級しかもってなくて…」と言っていてたら、先輩に「あー知り合い何人か行ってきた人いるけど、語学はそこまでできなくても大丈夫だと思うよ。むしろ英語以外の現地の言葉やることが多いから、意外とハードルひくいよ~調べてみなよ~」「絶対病院の中がダメなタイプでしょ、さっさと辞めちゃいなよ~」と言われ、家に帰ってこっそり調べ始める。「なんだあ。これなら、今すぐ行けるじゃん」と思い、試しに応募してみた。まあ落ちても日本でやりたいこともたくさんあるから別にいいや~という勢いであった。
今は、気が付いたらアフリカ大陸にいた。予定変更に予定変更を重ね、マチュピチュもスイスも行けていないにも関わらず、どうやら、アフリカ大陸で30歳を迎えるらしい。私の人生は行き当たりばったりで、予定変更ばかりであった。でも、軸の中には変わらないものもある。でも、この順番でこの内容の時間を過ごしてきたから、今の自分なんだろうなというのがよくわかるから、私にとって無駄な時間はなかったと思う。
日本では女性は若いほうが良いというような風潮があるように感じるし、女性自身も若作りするようなことを多く見受けるように感じている。実年齢よりも若く見られるとうれしいと言う女性たち。
日本にいるときからその風潮が好きではなかった。人間は年を重ねることに成長して魅力は増えていくものだと考えている。どうして時間に逆らうようなことをしなくてはいけないのか。進んでいく時間をその時々で楽しんで生きていく方が絶対に素敵だと思うのは、少数派なのだろうか。
出発前に、私のその考えを知っているウィンドサーフィンの大先輩に「30歳を日本じゃないところで迎えられてよかったね」と言われて確かにその通りだと思った。
帰国するときにはもう少しちゃんとした30歳の人間になっていたい。
手の形のキーホルダーはファティマの手といわれて、魔よけの意味があるそうです。
生活の中の色々なところにこのデザインがモロッコでは使われている。
先日、日本人4人で外食をして、すっかり日本気分になってしまい、お店を出るときにめちゃくちゃ大きい声で「ごちそうさまでした~‼」とうっかり言ってしまった。
品格のある30歳は遠い...
つづく。