100人の仲間 急性期からの脱却

JICAボランティアで海外に派遣される前には訓練所で35~70日間の合宿訓練を積み、仲間と切磋琢磨しながら語学や文化慣習を学ぶ。

私の隊次では青年とシニアを含めトータル100人の訓練生がいたが、幸運にも全員無事に訓練を終了し卒業することができた。様々な理由により大体1人くらい途中で辞めざる負えなくなる人もいるらしい。規則なども厳しいため、ルール違反や語学の成績が悪かったりすると退所になることもあるそうだ。

英語もほとんどしゃべれない私がフランス語の授業を受けるのは本当にハードで語学の成績が悪くて、落第しないか本当に不安で仕方がなかった。でも、担当していた先生はなぜか試験当日に試験を受ける前から「君は絶対に落ちない。大丈夫だ」と言っていた。実際にもなんとか合格することはできた。訓練所では文字通り死ぬ気で勉強したフランス語だが、残念ながらモロッコに来てからほどんどフランス語は使っていない。なぜならモロッコ人はフランス語が話せる人でもほとんどモロッコアラビア語で会話している。でも、勉強したことには意味があったし、これからもフランス語の勉強は続けていくつもりだ。よく海外で生活すると自然に耳が慣れてリスニングは上達するということもたまに聞くがそのようなことはここでは期待できない。自分自身を律して努力を続けるに限るのだ。

私は今まで病院の中の病棟の中で仕事をしてきたため、恥ずかしながら本当に世間知らずな人間であると自覚している。その私にとって色々な職種のプロフェッショナルが集う訓練所はとても楽しかった。

涙々の修了式から2週間後~1か月後の間に、それぞれの派遣先へ向けて日本から出発する。今まで縁のなかった国でも友達のいる国になるととたんに親近感がわく。今もみなそれぞれの活動場所で頑張っているんだろうな…と考えたり、懐かしんだりもする。

 

それぞれその土地の文化や習慣、その土地で信仰されている宗教によって、みな全然違う生活をしている。きっとみんないいことも悪いことも沢山ある。環境の変化で体調を崩し苦しんでいることもあるだろうし、派遣先との人間関係に悩んでいる人もいるだろう。生活環境が厳しくて辛い人もいるだろう。みな思い思いにSNSなどに自分の状況を報告したりしている。

隊員によっては配属先から熱烈に歓迎されて、色々おしえてほしいと到着まもなくから精力的に活動し勉強会やワークショップなどを行っている人もいるし、なかなか思うように話が進まず苦戦していることもある。

私の場合は後者にあたり、配属先のボスには受け入れてもらっているものの彼女は大変多忙でほどんど配属先にはいない状況。その部下たちは忙しくて仕方ないから一人でも働き手が増えたならありがたい。とりあえずたくさん仕事してくれというのが本音のよう。現場の医療の質は酷いもので目を覆いたくなることもあるが、看護長は日本でも導入し始めたような新しい看護ケアを行いたいという。志を持つことに対し、とても尊敬するが実際の現場はそんな場合ではない。フランス語の語彙と表現の乏しい私がプライドの高いモロッカンに上手に説明するのは至難の技。日々苦しむ。同じ方向を向きたいのだがそう簡単にはいかない。そりゃ始めから上手くいくわけないし、仕方がないだ。

 

他の隊員が現地の人と仲良さそうにしていたり、活動がうまくいったことなどの報告をみると、そこの任地をうらやましく思ったり、自分の力量のなさに絶望し悲しくなったり、比較的ブルーな気分になることが多かった。いる場所もやっていることも違うのだから仕方ない。仕方ないのだと理解しながらも、気持ちが追い付かず、なかなか苦しかった。その時はどうしてこんなに苦しいのかよくわからなかった。今振り返ると、頭と気持ちの背離が心身の健康に与える影響を身をもって体験した3か月であった。

そんな鬱々と「2年間ここでやっていける気がしない…このままだといつか病気になるかもしれない…でもモロッコ人が一人も悩んでないのに私だけ悩むなんて不本意だ…」なんて思いながらも、3か月経過したあるとき、気が付いたら本来の自分を取り戻していた自分に気づく。たぶん、職場や活動に悩むことはたくさんあるだろう。これからもたくさんの赤ちゃんを看取るであろう。酷いケアを目の当たりにし続けるであろう。でも、私の急性期は終わった。もうたぶん何があっても大丈夫だと確信した。

 

今のところ見通しは全く立たない。

ただ、日本にいるときからわかっていて、こちらに来てもやっぱりそうだよねと実感していることが2つある。一つはネガティブなことでもう一つはポジティブなこと。

まず、一つ目のネガティブなこと。

それは、やっぱり病院に看護師が一人入って、なにかを訴えたって今更大人になった人に何を言ったってどうしようもない。

出国前にも数人の先輩に弱音のようにこのことは既に伝えていた気がするが…やはり現実もそうであった。特にこの国の場合は…。いや他の途上国へ行ったことがないので全ての国いえることではないのだと思われる。こちらに来て3か月経過し、やはりそうだよなと実感。いい意味であきらめた。あきらめたところから、自分がどうすべきかと考えていきたい。やはり本気で変えたいなら、国のシステムを変えないといけないし、子どもの教育を変えないといけない。その予測は間違っていなかったと実感。元々自分が大きなことをできるなんて全く思っていないので、微力ではあるが自分が子どもとお母さんたちにできること。それはたくさんある。たぶんそれは目に見えないし、立派なレポートにできるようなことではないだろう。でもとても意味のある事なんだということはこちらに来て3か月、しっかりと肌で感じることができた。この期間だけでもここにきて本当に良かった。こなければ、こんなことを知ることができなかったということはたくさんある。今は、直接母乳を介助し元気になって退院していった赤ちゃんたちが、少しでもよい発達をし、将来モロッコの未来を背負って立つような立派な人間になってほしいと願うばかり。未来への希望を持てるこの職場に居られるだけで本当に幸せなこと。

もう一つのポジティブなこと。

それは、やっぱり最後は人間だということ。

なんか帰国直前の人が言うようなセリフかもしれないが、出国する前から仕事を通して、「人間を救うのは人間の温もりだ」というのは自分の中での軸になっていたし、別にスキンシップだけでなく、表情も態度もすべてにおいて。今まででよかった職場は、一番初めに私を育ててくれた看護長のいた病棟。その看護長の人柄のすばらしさはこんなところに文字に起こしきれないものであり、私は一生かけて彼女のようなケアができるようになり、彼女のような人間になれるように目指したいと心から思うが、一生かかっても難しいかもしれない。彼女の元だからスタッフはついていったし、仕事も頑張った。残念なことに、人徳ってこういうものなんだと気づいたのは、そのその病棟から離れてからであった。多少の悔いもある。その素敵な看護長が率いる職場は人事の関係で今はずいぶん変わってしまい、今となっては「あのころは本当に良かった」とみな口を揃えていい、私の中では伝説となっている。

だから私は、とりあえず自分という人間を受け入れてもらい、可愛がってもらうことだけに重点を置いて3か月過ごした。職場はもちろん二年間お世話になる事務所においても。とりあえず、毎朝、フロア全部を周って一通りスタッフに挨拶。そして、お母さんたちに挨拶。とりあえず、ニコニコと。とてもよい仕事してるわ、今日も忙しいのねなどと言いながら。

始めは挨拶しても無視されたスタッフ。誰だこいつという白い眼で監視してくるスタッフ。これがずっと続いたら、いつか胃に穴が開くだろうと確信した初めの3週間。

次第に挨拶に返事をしてくれるようになった。感動の4週目頃。

名前を聞いてくる人が増えてきた。国籍や日本についての質問。2か月目頃。

自分の名前を日本語で書いてくれと言うスタッフが紙をもって寄ってくるようになった。2週目から細々と。学生さんが来ると今でもよく言ってくる。

数人の名前を私が覚え始めると「私の名前言える?」と聞かれる。そういう人に限って覚えていなかったり発音が難しい。そして、私がわからなかったり発音が悪かったり間違えたりすると、めちゃくちゃ不機嫌になる。でも、みんな私のことを「こーきー、こーこー」とかずいぶん適当な呼び方をしても私は怒りやしないのに…2か月目頃から。

スタッフの名前をずいぶん覚える。「おはよう○○さん」「△△、はさみかして?」などと名前を交えて会話をするとめちゃくちゃ喜ばれる。下っ端の女医さんに「メリアン、椅子借りてもいい?」といったら、あらこーきー、私の名前覚えてくれているのね♡とたぶん心の中で思っているのだろうか、私がドン引きするくらい満面の笑みで「もちろんよ♡」と言ってくれた。「私の名前わかる?」にしっかりと返答し相手の子はどや顔になる。おはようと私を見かけて挨拶してくれる女医さんたち。ほっぺにチュチュっと相手からしてくれる人が現れた、感動の3か月目頃。涙が出そうなほど嬉しかった。

 

少しずつ、少しでも、自分を受け入れてもらえるように、相手へのリスペクトを伝え続けて、いつもニコニコしていたら、冗談言ったりふざけたり、たまに踊ったり歌ったりしながら…自分を受け入れてくれる人が少しずつ増えてきた。患者さんにも、スタッフにも誠実であることしんしであることだけは怠らないように気を付けた。

私は初めの3か月辛かったけれども、たぶん私自身が彼女たちに救われた3か月であった。先日事務所のスタッフと話していたらフランス語が全然聞こえなくなっていて自分に驚いた。アラビア語ばかり話しているからという理由もあるが、たぶん職場のスタッフは私にわかりやすいように忙しいにもかかわらず相当ゆっくり話してくれていたことに気づいた。彼女たちの優しさに気づかなかった自分に深く反省するとともに、とてもありがたく思い涙が出そうになった。やっぱり人間は人間にしか救われない。

周りからの勧めもあり、職場に向けてレポートなどを書いた方がいいと固いことを考えていたが、どうしても気がすすまず書けていなかった。彼女たちの優しさに気づき、人との関わりについてもう一度考えてみると、自分が「レポート」なんてそんな偉そうに見えるものを書きたくないんだと気づいた。気が付いて腑に落ちてすっきりした。

腑に落ちてからはあっという間に書きあがったレポートと言う名のラブレター。

「スタッフのみんなへ♡ラブレター!!私は3か月仕事しました。ここで3か月過ごせたのはみんなが親切にしてくれたおかげなの。本当にありがとう。…」と書いて、教授、看護長にみてもらい、私はみんなに感謝したいと伝え、部屋に貼ってもらった。

 

あと1年半ちょっと…なんとかなるだろう。


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 この国は国旗をあちこちに掲揚するのだが、、、どうしてだろうか、突然職場の庭にも国旗が増えた。

この国は何事も唐突なのだ。

でも、私も唐突である。

だから、結局同じなんだが。

 

続く。