私にとっての宗教

私には信仰している宗教などはない。

子どもの頃、確か小学校中学年くらいだったか…。

宗教という言葉を学校で習った日の夜、母に「うちの信じてる宗教何なの?」と、聞いたことがあった。学校の先生に家に帰ったら聞いてみましょう!と言われたから。私はつまらないくらい真面目な子だった。

すると、母は夕食をつくる手を休めて私に向き合い、「あのね、何かを信じるんじゃなくて、自分を信じなさい。人には裏切られるかもしれない。でも、自分はどんなときでも自分を裏切らない。自分で何が正しいのかちゃんと考えて、行動すればなにも裏切られない。お母さんも自分のことを信じてるし、あんたのこともちゃんと信じてるよ。」と言っていた。

それを聞いて、私はお母さんに信じてもらえてるんだと、子どもながらとても嬉しかった。

そんな母は朝に弱い。平日の朝は大体、学校に行く前に、私たち姉妹で朝ごはんを作って食べて、今日はどっちがお母さんを起こすかと妹も軽く喧嘩しながら決めて…母親に「お母さん起きて‼もういい加減起きないと仕事に遅刻するよ!」と叩き起こしてから、登校。そんなゆるーくお茶目な一面もある母だか、すごく芯のあるかっこいい大人である。

子どもの頃から、何かを禁止された記憶はほとんどない。勉強しなさいなんて言われたことはない。学校で、多くの親たちは勉強しなさいとか宿題しなさいと言うらしいと友達から聞き、母にどうして勉強しなさいって言わないの?と聞いたことがあった。すると、

「そんなこと言われたいの?そんな強制されてやることじゃない。やりたくないならやらなければいい。宿題しなくて学校で怒られて困るのあんたでしょ?あんたが勉強出来なかろうが、宿題しなくて怒られようが私は知らないし、私には関係ない。自分の責任だよ。自分で考えなさい。」と。そうか勉強しないまま大人になってから確かに困るのは私だ‼と思った。子どもの頃から、いつも自分のことをどうしたらいいか必死で考えていた。そして、結局私も妹も夏休みの宿題は、7月中に終わらせ残りの一ヶ月のバカンスを楽しんでいた、もしかしたら浮世離れした子どもだったかもしれない。

 

年頃になってからも「いつ、どこで何をやっていても構わない。自分で考えて決めなさい。自分でやったことには責任を持ちなさい。」といわれ続けた。いつ質問しても答えは自分で考えなさいか自分で決めなさいの2パターンであった。

そんなクールに見える母に、育児放棄されているのか、私たち子どもに興味がないのか?普通、子どものこととかもう少し心配しないのかな?と勝手に思っていた時期もあった。

20代の後半を差し掛かってから、ある年の離れた友達にこの事を言うと、

「お母さんすごいね。それは違うよ。そうとう信頼してるから言えるんだよ。私はどこにいてもいいなんて言えない。そりゃかわいい子どもたちだもん。本当はずっと近くにいてほしいに決まってる。」と言っていた。彼女は還暦付近の年頃のかたで30代の子どもが三人いる。確かにそういうことか‼と、長年の誤解にひどく反省した。

確かに子どもの頃から、あんたのことは信じてるから自分で決めて好きにしなさいと言われてきたなぁとふつふつと思い出した。

 

わたしには崇めて信仰する神様も何もないけれど、強いて言うなら母親のスピリットが存分に含まれた自分自身なのかもしれない。

それは、こっちに来てからすごく自分を支えているんだと最近気がついた。

お母さんありがとう。

 

夏物のおもちゃが増えてきた。ライフジャケットみたいなのがカラフルに売られている。サイズ展開も三種類もあった。海近いし、需要あるんだろなぁ。
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つづく。