自分をりっするということ

私がここにいるのは仕事でもないし遊びでもない。主役はいつでもモロッカン。

 

ロッコ国内には全部で300人弱の日本人がいたと思います。少し古い数字かもしれませんが、だいたいそんなもん。

その中で同じボランティアをしている仲間というのはとても貴重な存在で、遠い異国の中で、故郷の文化や言葉を共有し、モロッコで過ごすなかで大変なことなどを分かち合える仲間でもあるし、困った時などには助け合える関係にしておくことでこの国で過ごしやすくなると思うので、大事にしなくてはならないのだろう。

でも、ここにいる人たちは、私の考えと違う人が多いように感じる。そのため、日本人に会うたびにとても疲れる。

たまたまなのかモロッコという国にいるとそうなるのか、モロッコに来る人にそのような要素を持っている人が多いのか、よくわからない。

そのため、彼らとの関係を心から大切にしたいと思えない自分がいる。

 

 

どうして自分ここにいるのか、なんのためなのか、自分にとっての、モロッコにとっての、配属先にとっての、ボランティアとは何なのか、いつでも自分をりっしていく必要がある。

ボランティアであるから誰も、自分を咎めることはないし、アドバイスを求めれば意見を言ってくれるが、指摘されたりすることはない。ボランティアとは頑張れば頑張るほど、自分が苦しむし、満足しようとすればいくらでも自分のエゴで満足できると事務所のスタッフが言っていた。本当にその通り。

 

私の時のJICAボランティアの募集では、看護枠26の要請に100人が受験し、16人しか受からなかった。受かっても色々状況や事情があり派遣までたどりつけずに涙をのむ人もいるという。

日本一の語学学校という代名詞を持つJICAの語学プログラムのしかもフランス語(アラビア語とフランス語は、難関とうわさされている)の受講して…

こんなに生活を保障されて、過保護なほどの安全管理をされ、活動させていただいているだけで本当にありがたいと思う。

活動がうまく行かなくて辛いのも、語学が乏しくてコミュニケーションが充分にとれないのも当たり前だと思っている。だから、そこがしんどいとは思わないし、語学も好きだし、言葉が話せなくてもできることは沢山ある。

 

日本人と会うたびに失望して、残念な気持ちになっている。わたしもいつか、あとからモロッコに来た人にそう思われる人になるのだろうか。

絶対に嫌だ。

勿論素敵な人はいるし、一人一人は素敵でいい人である。いい距離で割り切って付き合っているが…うまく言葉にできない。

 

ネガティブなことを書いてしまい本当に申し訳ない。

 

続く。