人に向けて言う言葉は、自分に返ってくると思っており、私はどんな相手に対しても感謝や好意の表現を怠らないよう気を付けようと思っている。

仕事中はなおのこと200%の努力でニコニコして「あなたのここが素敵ね!」「その服可愛いわ!」「あなたはとても親切なのね!」「なんて優しいの!ありがとう」「クスクスが大好きなの!だから金曜日が大好きなの!」「断食なのにみんな働いて素晴らしいわ!」などなど。日本人はモロッカンよりも表情も少なく、ボディランゲージも少ないため意識して伝えるように努めている。

そうすると初めは不審の眼差しで私をみていたスタッフも「おはよ」と言ってくれるようになったりもする。そして、おしゃべりなモロッカン、私の噂話もたくさんしていることだろう。有難いことに、いいことも人に話してくれるらしい。自分が直接話してない人も、恐らく噂によりいい印象を持ってくれて知らない間に挨拶を返してくれるようになったりもする。

 

私が200%の努力をするのには理由がある。

日本を発つ前に前任のベテラン先輩には何度か連絡をとらせていただき、職場の現状からモロッコでの生活、日本からの持ち物など些細な質問にも丁寧にかつ事細かにお答えくださり、大変お世話になった。私は刺激的すぎるモロッコの病院の現状を耳にして、ショックを隠しきれず電話越しに「2年もやっていける気がしません」と不安を吐露したことを覚えている。彼女は、「厳しかったら任地替えもありだと思う。無理してまでこだわってとどまる必要はない…」というようなアドバイスくださった。今も彼女の言葉がどれだけ私を支え助けられているかは計り知れない。無理しなくていい、いざとなったら任地を変えてもらうよう交渉すればいいと思えるだけでとても楽になる。

モロッコはライフラインはそろっているし、ほとんど日本と同じようなものを買うことができる国である。言葉の壁もあるだろうけど、そんなのどこの国にいったって多かれ少なかれあるだろうが、言いたいことを言えないからってストレスためたって仕方ないではないかと、いい意味で始めから諦めていた。焦ったって仕方ないし、そんなことでストレスをためるくらいなら、単語ひとつだって覚えればいいし、任地の人と一言でも多くコミュニケーションをとればいいと。そもそも言葉なんてただのツールのひとつにすぎない。コミュニケーションのうちたった数%しか受け取られていない。看護学校で多くの看護師は習ったであろう、そしてコミュニケーションスキルを学んだ人は大体知っているであろうメラビアンの法則

この研究は好意・反感などの態度や感情のコミュニケーションについてを扱う実験である。感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたときの人の受けとめ方について、人の行動が他人にどのように影響を及ぼすかというと、話の内容などの言語情報が7%、口調や話の早さなどの聴覚情報が38%、見た目などの視覚情報が55%の割合であった。この割合から「7-38-55のルール」とも言われる。「言語情報=Verbal」「聴覚情報=Vocal」「視覚情報=Visual」の頭文字を取って「3Vの法則」ともいわれている。Wikipediaより。

 

結局のところ、ほとんどは表情、態度、仕草、などの非言語コミュニケーションの方が大切。メラビアンを思い出すとフランス語が伸び悩んでいる自分への悪い言い訳になり悪い意味で自分を納得させているが、電話がかかってくる度にドキッとして、フランス語勉強しないかんと反省する日々。

 

モロッコに到着してから初めて配属先の病院に挨拶に行く車の中で、事務所のスタッフが言いにくそうに「ここの病院はなかなか前任も苦労して、活動が上手くいかなかったんです…この国では医療と教育に私たちは力を入れて活動しているがなかなかどちらもうまく行かなくて…」と言っていた。正直、前任からの事前情報も聞いていたからわかっていたが、どうしてそんなところにわざわざ私は連れてこられたんだと正直憤りを感じた。病院スタッフが前任の活動を受け入れなかったのに、どうしてわざわざ私がまた同じ場所で活動をするのだ、地球全部を真剣に探せば、もっと日本の小児看護を取り入れたいと熱心に思っている地域や病院は絶対にあるはずだ。でも現在、配属されて1か月経ち色々なシチュエーションを見たり、スタッフのキャラクターもずいぶんわかってきたから、どうして日本人が必要なのかよくわかるし、どうして私がここに選ばれたのかとてもよくわかる。そして、私には人に誇れる技術や知識経験があるわけではない。ただのしがない看護師であるが、唯一自慢できるかもしれないことに、どんな人のことも心から受け入れて認めることができるという特技がある。

日本の病院だってそうだった。もっとここを変えたらいいのに、こうしたほうが楽なのに、と思うことが沢山あるが変わらない。どうしてこんなやりかたなんだと聞くと「ずっとこうしてるから。こういうルールだから」という非科学的な返事を得て愕然としたこともあった。その頃はつい自分自身が熱くなってしまい、感情を強く出して伝えたことで、相手とぶつかり今となっては反省すべきエピソードの1つでもあった。そのエピソードから学んだことは、正しいことを正しいと言っても、そう簡単に病院の上層部の人間が聞く耳を持ってはくれない場所なんだと理解した。モロッコも一緒である、いやモロッコのほうがその色は濃いかもしれない。病院とは院長を筆頭に縦の階級があり、どんな時でも上の人の言葉が正しい。

ここ1か月看護長との関係でずいぶん頭を悩ませ、あの手この手でアプローチしてみたがなかなかうまく行かなかった。彼女とは絶対にうまくやっていきたいと思い、ずいぶん必死で考えていたが自力では難しく、その悩みを友人に相談したらすぐに解決した。結局のところ、彼女は私を恐れ排除しようと躍起になっていたようだ。私は、彼女がそんなことを考えているなんてちっとも考えなかった。彼女自身の看護スキルについて認めて、尊敬の意を伝えたら、その後まるっきり態度が変わった。アドバイスをくれた友人に感謝。自分自身で気づけなかったふがいなさも多少はあるが、それ以上に上手に人に頼ることが苦手な私にとって活動をこれから進めるにあたり大切な経験をしたと思う。周りに積極的に意見を求めていくことでいろんなことが見えてくる。そして良好な人間関係を深めることでこんなにも状況が変わるのかと実感した。

 

研修所時代に仲間の子が言っていた。笑顔でいることがどれだけ大切なことかというエピソードを思い出した。今は一人でも多く自分の仲間を増やす必要がある。しばらくは200%でやってみようと思う。院内でユニホームに着替えたら、まずは鏡で自分の顔を見て200%の笑顔を作ってから病棟へ。

 

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この国はなぜかネコがとても多いのだが、私は子どものころからネコが苦手だ。

 

 

続く。