苦しみと喜び
日本をたって早2ヶ月。
気がついたときには過ぎていた2ヶ月。
ホテル暮らし、ホームステイ、語学学校、アパートへの引っ越し、仕事開始。合間に体調崩して受診したりなんだり。
激動の2ヶ月で目まぐるしい日々だった。
すごい勢いで一週間が終わる。それが4・5回繰り返されると1ヶ月が終わっている。
それがあと20回程繰り返されたら終わると思うと2年間は短い。と思うときもあるが、実際はゴールが見えないマラソンのよう。
職場は相変わらずで悩みはつきない。考えようと思えばいくらでも考えられるし、改善させようと思えばいくらでもやれることはある。でも、変えられない現状とシステムと文化、習慣。それは、とても根深い。
彼らが悩んでないのに私だけ悩んだって仕方ないと諦めることにした。
見ていて何もできないことや言葉が拙すぎて伝えられず理解を得られないことは沢山あってもどかしいし、しかもその場で理解してもらわないと私の意図や根拠が伝わらない。
今は、仲良くなることに重きを置きたいが、そうやってスタッフと私が喋ってる間も、病棟のアラームは絶えることなくなり続けるし、私だけがひたすら働いたってそんなのはただの独りよがりの活動。
それにここでは、ケアのレベルの高さよりも、人として仲良くなった方が受け入れてもらえる。仕方ない。でも赤ちゃんが可哀想。
ある日、自己嫌悪と無力感を携え職場を出たとき。
「マダモゼール!」
と女性に呼ばれていることに気づいた。
つい先日まで入院していた赤ちゃんのお母さんが外来に来たようで声をかけてくれた。
日本にいたときの習慣で、病棟をぐるぐる回って赤ちゃんやお母さんたちと話をしている。産後間もないお母さんたちが少しでも我が子を愛しむことができる関わりと時間を持つことは、長い育児生活に影響するし、ただでさえ産後のホルモンバランスの崩れたときに我が子の入院は、心身ともに辛い。
とりあえず、「かわいい」「いい子」とお母さんたちにニコニコしながら言ってまわり授乳介助したりすることしかできない。アラビア語の語彙が少ないため。
こちらの病院文化として、比較的医療者優位な関係が多く見られ、産後間もないお母さんが椅子を探して歩いてても、椅子に腰かけた医者はせっせとカルテを書いていることも見受ける。
ここでは、子どもの治療に口を出せないけど、お母さんたちへ介入ができる。日本でも好きだったが、私は家族への介入がやっぱり好き。
そのお母さんは、当時毎日面会に来ていて、いつも明るく笑顔が素敵で、私の方がお母さんから元気をもらっていた。
そしてまたしても、気分の沈んだ私を助けてくれたお母さん。気持ち良さそうに寝る赤ちゃんにも会えた。
たぶん、間違ったことはしてないだろう。
でも、私一人でやってても…独りよがりの活動。
一気に日本のようなケアができるわけはないから、どこからやっていくことが彼らに受け入れてもらえるか。
これから少しずつ、探る。
続く。