タイムスリップ

オピタルドンフォンで赤ちゃんがまた一人亡くなった。

心肺停止になり心臓マッサージと人工呼吸をしながら、医者が「いつもよ」と私に言う。この子は先日も心肺停止になり蘇生されていた。

ベットの生年月日をみると生後1週間たっていない。

医師たちがあれこれ処置を行うが状態は回復しない。医師たちは限界に感じたようで、あきらめてその場を離れていってしまった。

 

呼吸状態から、もうすぐ亡くなることが予測された。呼吸器と点滴は繋がれているもののなすすべもなく、ただベッドに横になっている。家族はおらず一人ぼっちであった。生まれてたった1週間とこの世にいることができなかった赤ちゃんがたった一人で亡くなっていくことに心苦しくなり、私はどうしてもその子の元を離れることができず、ただ手を握り足をさすり、少しずつ冷たくなっていく体を触っていた。

 

しばらくして、医者が赤ちゃんの聴診をしに来た。

私は医師に「この子は既に…」と伝えると頷いて心拍を聴診し首を横にふる。

そして、医師は君も聴診をするかと私に尋ね、私も聴診をする。

その後何人かの医師が聴診して確認していった。

 

どうしようもないことだとわかっていても、ただ悔しかった。

 

日本にいた頃、状態の非常に悪い子どもの治療を医師があれこれ必死になって長期間繰り返し行っているとき、私は治療にも苦しむ子どもを前にして、こんなに苦しい思いをさせたくないで、少しでも子どもが苦しくない選択ができればいいのにと考えることもあった。日本では選択肢がたくさんあり、最後の最後まで治療し続けることが多かった。そうでない場合ももちろんあったけれども。

 

たぶん、日本にいた頃にもっと治療に苦しませないで亡くならせてあげたいと私が考えていた亡くなり方であった。あれこれ最期まで処置されて苦しめられるよりもよっぽどよかった。しかし赤ちゃんは一人ぼっちであった。それだけがとても心苦しかった。生まれてから、母親や家族に抱っこされ触れられる時間もほとんどなく、点滴やらチューブやら入れられて、ベッドに寝かされて過ごした1週間はどんな人生なんだろうと。

 

医師が点滴や呼吸器などを外していく。私も赤ちゃんの体についた血液をふき取る。

「これがこの子の人生なのよ。生きているときは大変だったけど今は楽になった。今は休憩しているだけよ。だから、悲しむことなんてないのよ。」と女医の一人が悲しむ私に言う。早口のフランス語であったがだいたいこのようなことを言っていた。そう言いながらも彼女も悲しそうな顔をして、身体の汚れを拭きとっていた。

 

この環境に2年間耐えられるだろうか。私はどうしたらいいのだろうかと休憩室で座って考えていると、日本のベテラン先輩の言葉が頭に浮かぶ。

「たぶん、向こうに行ったら信じられないことが沢山あるんだろうけど…でも、日本も昔はそうだったんだと思うのよ。昔は助からなかった。昔は赤ちゃんにモニターなんてつけていなかったし、今では信じられないようなことも沢山していた。昔の日本では助からなかった子どもが、今の日本で助かるようになったことで今度はしょうがいを抱えて生きていかなくてはならない子どもが増えてしまった…」

 

日本も昔は、きっと今のモロッコと似たような環境であったのだろう。

確かに日本では、肺サーファクタントが使用されるようになってからの超未熟児、早産児の救命の質改善は著しいものである。

 

もし、今私がモロッコで見ている現状は、昔の日本の医療の世界をタイムスリップして見ていると考えたら…

 

また、もし、未来から今の日本の病院にタイムスリップして、今の日本のケアを目の当たりにしたら。私が知ってる最前線のケアをしたとしてもタイムスリップしてきた人にとって、こんな状態で赤ちゃんがなくなってしまうなんて!と衝撃があるのだろう。

 

そう考えるとモロッコの病院の現状を受け入れられるような気がした。

1週間と生きられずに亡くなった赤ちゃんの死を通して沢山のことを教えてもらった。私は彼を看取ることができて本当によかった。亡くなった彼に感謝する。

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続く。