命の重さ
これから先は、カルチャーショック編はオピタルドンフォン内の内容中心になる見込みです。随分とシビアでシリアスな内容ですが、
書けるギリギリのところまで書いてみます。
毎朝、出勤すると赤ちゃんが減っている。
昨日までいた子どもが今日はいない。
黄色い皮膚の子。
よく吐いてた子。
昨日、急変してなんとか戻ってきた子。
いなくなっている。
目の前で酸素飽和度が20パーセント台まで下がっている子がいる。時々徐脈にもなる。主治医は何もしない。見てるだけ。
マスクバックを提案するが、要らないと返答。どうしてマスクバックしないのか?と問うが明確な返事なはい。私には彼女がどのようにアセスメントしてるのか、よくわからない。
手足を刺激する。刺激への反応して回復する。
今すぐ挿管しないと死んでしまう。
他の医者が来て、隣の子のアドレナリンとおぼしきシリンジをその子に付け替える。心マと吸引して、挿管すると回復していた。そもそも、どうして主治医は気づいていてたのに眺めていたのか、私にはわからない。
そしてスタッフは心肺蘇生を笑って話ながらしている。私には彼らの感覚が理解できない。
挿管チューブを固定している途中、チューブから手を離して髪の毛を整えていたりもする。
私は何から手をつければいいのだろう。とりあえずスタッフに私自身を受け入れてもらわなくては、何事も話が進まない。しかし、そうこうしてる間にどんどん子どもは亡くなっていく。
ここの文化や風習、人の価値観や倫理は、私一人ではどうしようもない。問題の根の深さを実感する。そんな簡単に改善するくらいなら、もう変わっているだろう。
この国が変われない理由、先進国になれそうでなれない理由が如実に浮き彫りとなった。
研修所で「途上国では命が軽いです」と言っていたのは、このこと。
この環境に慣れるのだろうか?
正直慣れたくもない。
この感覚を理解できるときがくるのだろうか?もし理解できたとしても、共感はできない。
助ける手だてがない訳ではない。
しかし、ここは恵まれている。
助けるための道具がちゃんとある。
呼吸器やN-CPAPもあり、それなりに揃っている。
それなのに人が機械を使いこなせていない。その現実に気づいていないようだ。
私にはなぜ?が沢山ある。関係を作りながら上手に探っていく必要がありそうだ。
一人一人と話してると普通のモロッカンだし、私にはとても優しい。
だからこそ、すごく違和感を感じる。
その場しのぎで、私が手を出したとしても、私がいない間にいつか同じことが起こって亡くなる。昨日急変してなんとか復活できたとしても、その子どもは今日には亡くなる。
色々な処置の理由を、私が質問しても、明確な答えがない。
彼らの行っている処置に根拠がないから。化学に則りケアをするという概念がないのだろう。仕方がない。
何事も見よう見まねで行っている様子。
泣いてた子どもを抱っこしてあやしていたら、医者の一人に
「あなたはなんでだっこしてるの?まあ、なんて優しい心を持ってるのー!」
と言われた。
日本ではこれが一般的なことだと伝えたが、あんまりわかっていなかった。
彼らが見たことのないことを伝えていくことの難しさ。
目の前で苦しそうに泣いている赤ちゃんと眼が合うと苦しくなる。
途方にくれる。
続く。