来モ

来モ(=モロッコに来ること)

私が、モロッコに行きが決まったとき、多くの人に「夏休みはモロッコに遊びに行くからね~」と言われたが、これは一般的に行く行く詐欺(笑)で、まさか本当に来る人がいるなんて夢にも思わなかった。ウィンドサーフィンをしていると、天気図などから「今週末は吹く‼」とか、「明日は波が入る‼」とか、みんなの期待が高まるとなぜか風は吹かずに波も入らないということがよくあった…。それは、吹く吹く詐欺として有名な話で、「誰だよ~吹くって言ったの~‼」と笑いあっていた。

 

日本からモロッコへ行く飛行経路としては主に下記の2パターン。

①日本-フランス-モロッコ、②日本-ドバイOrアブダビ-モロッコ

自分が実際に来るときもそうだが、2年留まるとわかっていたから耐えられたが、長い長い…長い。私は飛行機が嫌いでないタイプだからまだいいのだろう。

映画を何本もみて、機内食、一緒に来た仲間と飽きるほど話して、機内食、寝て起きて、機内食‥‥

私にとっては気持ちを整理しながら来るのにちょうど良い時間だったとも言える。

 

元職場の同僚が、年に一度しかとれない貴重な長期休みでモロッコに遊びに来てくれた。ツアーだったため、彼女たちの初日の夜の数時間会う程度であったが、夕食までの時間をタクシーで町の案内をしたり、スーパーで買い物をしたり、アラビア語を少し伝えたり、事前に用意しておいたモロッコ土産とお願いしていた日本物資を交換したり、職場に手紙をたくしたり…有難い。

いや、もともと、バックパックとかするタイプの人たちでないから、モロッコで不便だったり、観光客へのあたりもきついことも多少あるからいやな思いをすることもあったであろうが、念願の砂漠に行けたのが嬉しかったらしい、楽しいと言ってもらえてよかった。事務所の規定で、メルズーガやアルフード、ザゴラなどの地域に私は行けない。仕方ない。帰国してからまた遊びに来るしかない。

 

また、友達が来て話をする中で、ここで自分がどれだけ貴重な経験と時間をさせていただけているのかも再確認できた。 ここでの生活が当たり前になっているけど、きっとあっという間に2年間終わってしまうんだろうな。

日本に帰ったら、違った意味でまたカルチャーショックを受けるんだろうな。それはそれでしんどい。日本のカツカツした感じに戻れるかな…日本の病院で働けるかな…厳しい。

職場で、どうしてそんなに君はテキトウなの?とか、ガサツ‼とか、キタナイ‼とか…言われそう。

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アルガンオイルやサボテンの実のオイルなどをプレゼントした。モロッコは女子の旅行には楽しい国である。

任国外旅行の問い合わせも入った。色々と予定が入ってきて、おちおちボーっとしてられんけん。

 

続く。

久しぶりの初めて

イード休暇までの期間が夏のバカンスシーズンの雰囲気です。たぶん、もう少ししたら、日常生活に戻ろうかというところなのでしょう。

いつも、面会受付から入退院管理、ベットコントロールまでを一人でこなすとても働き者のスタッフがいる。私は、以前からもしも彼が風邪をひいて休んだりしたら、病棟はグチャグチャになり、きっと機能しなくなるのだろうと予測していた。

そんな彼もバカンス休暇となり、病棟から姿を消した。予想外に、セキュリテに関しては守衛室から番人を交代で駐在させ、彼らに少しずつ勤務を内容を副師長が指導して、何事もなかったかのように病棟がまわっていた。今まで誰かがいなくなると、彼女がいないから仕方ないんだと言い訳をしたり、人のせいにしている場面をよく目撃していたが今回はしっかりと彼の休暇をカバーする対応がなされている、感激したことは言うまでもない。

そんな代理できたセキュリテの人と話していると、二言目に「君はムスリムか?」と聞かれた。「いや違うよ。とてもリスペクトしているけど。あなたはムスリムでしょ?」と言うと、予想外の返答があった。

「実は、内緒だが、私はムスリムではないんだ。」と言われた。

驚き過ぎてなんと返事をしていいのかわからず、「ええぇ~‼‼‼それ、ほんと?で、あなたの宗教は?」と質問すると、

「クルスチャンだ、モロッコにもわずかにいる。でも、これは内緒なんだ。」と言っていた。

ラマダンもしない、モスクへの礼拝もしない、モロッコ人がいるなんて。確かに、統計上ほんのわずかにクルスチャンがいることは知っていたが、きっと移民や仕事で出稼ぎできている人たちのぶんなのだろうと考えていた。もうずいぶんこちらになじんできており、だんだん初めて見た聞いたということが少なくなってきたのだが、私にとって多少衝撃的であった。

聞くと、彼の片親はドイツ系で彼らがクリスチャンであるから、彼の家族はみんなクルスチャンだそうだ。確かに顔つきがいくぶんヨーロッパに近いようにも感じる。

きっと少数派マイノリティとして、少なからず苦労があるのだろう。その苦労を知っているからこそ、それ以来、ムスリムでない私に親切にしてくれるのだろう。

私は2年で帰国するが、彼はほとんどがムスリムの中で恐らく生涯生きていくのだろう。ラマダーン中などはとても生活しづらいはずだ。彼は勿論、モロッコ方言アラビア語を話していた。アラビア語にはイスラム教と関連した語彙が日常的に使用されており、私も彼らと会話するときには使用しているが…彼はその言葉を使うのだろうか…

彼に聞いてみると「神が望むなら」「神様のおかげで」という言葉は使用しないと言っていた。私は信仰心からではなく、彼らの口癖として移ってしまっているためアラビア語を話しているとつい話の流れで「神が望むならね(本心としては、気が向いたらねとの思いで使用)」とか「神様のおかげで(日本人の『お陰様で』のニュアンスとして使用)」しまくっている。

 

きっと顔も人種も違って、明らかに違う思想をもっているとぱっと見で理解されて、しかも2年間の期間限定の私の方が彼よりもはるかにモロッコで生きやすいだろう。

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続く。

なぜ、カウンターパートとの関係づくりに苦慮する必要があるのか?

表題にある通り。

よく、協力隊関係者やOVの方々から「カウンターパートとの関係を良好にすることで活動がうまく行くようになる」とか「カウンターパートとの関係を大切にした方がいい」という意見や話をよく聞く。

 

私にとってそれは教授であり、彼女は大変多忙であり、現実的に活動のパートナーになってくれるのは看護長。

勿論、大切にするし、したいと思うし、彼女の医療に対する情熱をとても尊敬している。でも、どうして私が彼女のことを大切にする必要があるんだろうかと考えるとどうしてもしっくりこなかった。確かに彼女が私によい印象を持ってくれたら、いろいろやりやすくもなると思う。それが結果的に赤ちゃんや家族のためになることは勿論だろう。 正直、今の段階で私と彼女が良い関係とは思えない。話も聞いてくれないし、意見を伺っても教えてくれない。彼女にとってのボランティアとは、ただ長めにいる研修生程度の感覚なのだと感じている。それ以前の問題として、教授に話をする内容の了承を看護長たちになかなか得られない。看護長たちさえも、忙しいからとなにも聞いてくれないし、教えてはくれない。

全てスタッフづてで、だいたいの情報を得ている。またポジティブに捉えれば、末端のスタッフよりも知的レベルが高い分、色々と警戒心やプライドもあり、私とベタベタしにくいという内心もあるのかもしれない。そして、ポジティブに捉えれば、スタッフとの関係づくりは比較的良好であるともいえる。医師、看護師、研修生、清掃スタッフ、倉庫担当、などなどの各方面のスタッフに好印象を持ってもらえており、「君はいい子だ」と言ってくれる人もいるし、「どうして、彼女とはセルフィーしたのに私と撮ってくれないのよ‼」とか言ってくれるスタッフもいる。本当に幸せである。

きっと、自分を受け入れてくれる人がいる場所があることは、相当恵まれて幸せなんだろう。

 

私が、苦慮してまでカウンターパートとの関係づくりに力をいそしむべきなのだろうか?いや、どうしてそこに悩まなくてはならないんだろうか?

と、ふと疑問になった。

ただでさえ、生きているだけで、多少ストレスを抱え、日本よりも疲れる。

その上、私がカンターパートとの関係づくりに力を尽くしてどれくらい赤ちゃんと家族にフィードバックできるのだろうか?もともと、私に与えられた時間は2年しかない。関係が良好だとしても、末端のスタッフたちが、私のことを良く思ってくれなかったら、いくら教授が言ったって、「教授の前ではやるけど、いないときはやらない。」という、いつものパターンになることが眼に見える。

 

もし、教授の了承がないとフィールドに行けないタイプの派遣の隊員はカウンターパートは命綱になりかねない。でも、ポジティブに捉えれば私はたとえどれだけ関係が悪化しようと、彼女たちが私に「もう病院に来ないでくれ」と言わない限り(人手不足のため現実的にあり得ないが…)、私は朝の8時から夕方の16時まで病棟にいられる。その中で、看護師や医師と関わり、赤ちゃんやお母さんたちと関われる。

 

そこにストレスを抱える必要があるくらいなら、一人でも今いる赤ちゃんたちやお母さんたちに「どう?元気?赤ちゃん可愛いね。少しずつ大きくなるから大丈夫だ」と、声をかけていったほうがいいのではないかという考えも出てきた。

 

そのことに気づいたら、非常に楽になった。

たぶん、国際協力の一般的な手法では…とか考えだしたら、私は正しい方法をとっていないであろう。でも、今、私が可能な最大限パフォーマンスを可能にするためには、いかに減らせる限りのストレスを減らしながら、力を注ぐべきは、これからモロッコで長く生きていくであろう、赤ちゃんとそのお母さん、若いスタッフ、若い医者たちにアプローチして少しでもいろんな可能性があることを知ってもらった方がいい。

 

仕事ではないから、結果が数字で出せなくても、研究結果がでなくてもいいのだ。ポジティブに捉えれば…私の活動が眼に見えなくても、モロッコの人たちに伝えたくて大切にしたいことをコツコツ2年間やっていくスタイルでもいいではないかという結論に至った。

 

いろんな意見を聞いて、多少その意見に振り回されることもあったが、現場にいるのは私だし、実際に活動するのは私なので、意見を聞いても自分の思うとおりにしようと決めた。

 

※カウンターパートとは、JICAのJOCV,SVにとって活動のパートナーとなる人のことです。 

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続く。

卒業パーティ

医師免許取得後に、新生児のエキスパートの研修のために、医師が研修に来ていたが、この度をもって卒業となったそうだ。

8か月間、当院で研修していたとのこと。時には教授の罵声を浴びたり、思うように赤ちゃんの経過がいかずに、悲しい思いをしたことも数知れず。ラマダーン中は倦怠感で朦朧とする意識のなか必死でケアしたり…

そんな彼女たちが卒業していくため、お菓子とジュースでパーティをした。

日本では考えられないが…病棟フロアの中にテーブルとお菓子、ケーキ、ジュースを用意し、みんなでおしゃべりしながらいただく。その間、面会は中止して外で待っていてもらう。モニターのアラームはいつもの如く鳴り響いているが、ここではアラーム対応よりも、みんなの労をねぎらいあう方が優先。私も一緒にお菓子とジュースをいただく。病棟に入ってすぐに良くわからない頃に、不安そうな私に英語でいろいろ教えてくれた優しい女医さんたち。彼女たちがいなくなるのが本当に寂しい。彼女たちにとても救われて過ごしてきたことを気づかされる。

彼女たちが、今後モロッコの子どもたちの健康を担う立派な医療者になることを願うばかり。

10年後、30年後が楽しみである。みんな、おめでとう。そして、ありがとう。

一気には変われない、きっとこの国のペースで少しずつゆっくり良くなっていくだろう。

 

また、新しい医者がくるだろう。

気持ちを切り換えて、全ては赤ちゃんと家族のために。

 

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続く。

عيد الأضحى 、Eid ul-Adha 羊犠牲祭

犠牲祭。

※※※   下の方にややグロテスクなものがあります   ※※※

 

イスラム教の行事であり、家族で集まり、生贄を捧げ、とさつし、家族みんなでそのお肉をいただくという行事。全てのムスリムが行うが、地域によって生贄の動物は異なるが、モロッコの私の住んでいる地域では羊がオーソドックスである。お金持ちはラクダを買ったり、お金のないものは鶏にしたり、他は馬だったり、ヤギだったりするそうだ。

前後一週間程度の期間は、みんな忙しそうにしている。あちこちの家から羊の鳴き声が聞こえ、バーベキューセットがお店で売られ、餌用のわらも売られており、お店も締まっていることが多い。都市部に出稼ぎしている人も、地方の田舎へ帰って過ごすそうだ。帰省混雑もあり、電車もとても混んでいた。

日本のお正月のような雰囲気だと教わった。確かに納得する。家族そろって、田舎へ帰り食事をする。そして、動物をとさつして解体するというイベントがある。

 

イスラム教のイベントは少なく、有名なラマダーンとそこまで日本人になじみのない羊犠牲祭の2つが主。

 

 

折角だから、どこかの家で羊を裁くところを見せてもらいたいなと思い、家を出る準備をして家の鍵を閉めている途中に、一人の男性が階段を上ってくる。「羊、まだ?やるところみたいんだけど?みられる?はじめてのイードなの!」というと、快諾してくれた。アッツィをごちそうになり、その家の4歳の男の子とスーパーマンVSスパイダーマンの戦闘ごっこをひたすらするという体力勝負も予想外なこともあったが、ヒツジさんがさばかれ、手際よくあっという間に解体され、バーベキューとなって出てくるところまでご一緒させていただいた。

 

男の子も、ヒツジにいい子いい子して頭をなでていた、とさつの現場も周りを走り回ったりしながらもその様子を見ていた。そして、さっきいた羊さんだと彼の中で一致していないだろうがヒツジさんのお肉をもぐもぐ食べていた。彼はどう感じているのだろう。

去年のイードを体験した日本人は、今年はこりごりだという人もいれば、イードのお肉は新鮮で美味しいから、家々を梯子しまくって、食べまくるという日本人まで様々。

 

私も、ジンギスカンはいまいちかなとおもっていたのだが、イードのお肉はとっても美味しい。私が美味しい美味しい言ってすごい勢いで食べるもんだから、その家族は、これも食べなこれも食べなと自分のくしを私のお皿に置いてくださった。モロッコ人は、とっても暖かい。

 

田舎ではとさつから解体まで全て家で行うことが多いそうだが、最近は解体業者を予約して、業者が回ってきたタイミングで、とさつするそう。

でも、家長が「ビスミッラー(神様に感謝して始める)」といいひつじさんをとさつするというのは、伝統のようだ。

 

 

 

たぶん、自分の仕事柄、多少グロテスクなものを見ることに慣れていることもあり、もともとなんでも食べものはすべて命をいただいていると認識して食事をしていることもあり、あんまり抵抗はなかった。でも、鳥をしめて買うのにも抵抗があるというこっちの日本人もいる。でも、その気持ちもわかる。

でも犠牲祭のあとから、いただきます「ビスミッラー」の言葉の重みも変わった気がする。

 

家のなかが血まみれになるのは大変なので屋上や庭を使うことが多いらしい。

 

この子、オスの羊さんでした。

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業者さんに抱え込まれポジションを整えて今からビスミッラーで始まります。

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首の太い動脈から十分に血を出し、息を引き取ってから、頭と毛の処置などをして、内臓などを取り出していきます。とてもスムーズでした。

 既に町で売られているお肉の固まりと同様の状態まですんでいます。

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初日は内臓を頂き、他の部位は、一日寝かして熟成させてからいただいたり、1週間前後、ヒツジのお肉を食べ続けるそう。

 

 

途中、日本人はどうやってご飯を食べるんだ?と聞かれ、お箸をつかうんだと伝えるとみんながお箸の練習をしてヒツジを食べていた。 モロッカンなかなか器用である。確かに、刺繍やらペンキ塗りなら、ものの修理やら、器用さを感じることは沢山ある。

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とさつから、ランチのご馳走まで、感謝。

そして、食後も4才児との戦闘ごっこ、サッカー、風船落としちゃダメゲーム、おいかけっこ、「ゴーン、ドーン、シューン」と効果音付きの戦いは永遠。疲れすぎた。

 

どうりで、ランチの時にお腹すいていたんだ。子どもとひたすら遊んでたからだ‼

 

奥さんがお寿司好きよと言っていたから、今度作って持っていこう。

 

続く。

marrakech

仲間から「おいでおいで‼」とずっと言われていたにも関わらず、なかなか気力と体力がなくて行けていなかったのだが、ついにマラケシュへ行ってきた。

久しぶりの仲間との再会に癒される。奥様がモロッコにある食材や日本から持参した食材を駆使して、和食を作ってくださった。みんなそれぞれの任地でそれぞれの苦しみを抱えながら頑張っていると思うと、そう簡単に弱音をはいている場合でないぞと、自分を奮い立たせるきっかけとなった。もてなして下さった夫婦が本当に素敵だった。

 

マラケシュの夏場は40℃を切ることがない日が続くほど暑く…50℃越えもざらに…

そんな中私の行った日程は30℃代が続いた日。本当にラッキー。

それでも、日向を1時間と歩くと、信じられないほど疲れ、昼寝せずにはいられない。気温がそんなに高くないから大丈夫だろうと高をくくっていたが、太陽にあたるだけでも疲れるほどの日差しの強さのようで、現地の人たちも常に日陰を探しながら歩いているそうだ。同じ国内でも首都とマラケシュは全然違う。

マラケシュは観光地であり、欧米人の外国人がバカンスで来ていることが多い。欧米人がたくさんいて、店番の人たちも私たちに対して英語で話しかけてくる。また、日本人という認識も首都よりも大きいようで、中国人よりも日本人として認識され「こんにちは、おいで、安いよ、さよなら、だいすき」などと言ってくる。日本語の語彙が多くて思わず笑ってしまう。その上彼らは、首都では信じられないほど積極的に声をかけてくる。話し出すと10分15分ざらに過ぎてしまう。首都は、やる気なさそうに店番をしている人がいてなかなか話しかけてくる人もいるがこんなに多くはない。

また、マラケシュはバイク使用率が非常に高かった。みんなバイクで移動している。そして運転が信じられないくらい荒い。よくあの運転で人をひかないなと感心するが、たぶん事故は多いだろう。

観光地であり、外国人からはしっかりとお金をとるという文化が根付いているようで、タクシーのるにも、だいたい3倍値から値段交渉スタート。なぜならメーターをなかなか使ってくれない。アラビア語で話しても、強気の高値でぐいぐいくる。首都の人はとても穏やかだし、メーターをちゃんと回して正規の値段で乗せてくれるので、焦る。

マラケシュメディナで買い物をしようにも、観光客扱いのため、2~3倍値から交渉開始。首都のメディナでも最近そんなにぼられることはなくなった。もしかしたら私が我が物顔だからかもしれない、あと、余計なものを買わないからかもしれない…マラケシュでは私は観光客。それはそれで、交渉のやり取りも楽しい…結局道端でかわいいデザインに魅せられて、靴を一足購入してしまった。

ロッコにはその地域ごとに伝統的なデザインや模様や名産があるので、きっとマラケシュの伝統的なデザインなどがあるのだろうが、各地方からマラケシュに運んできて売っているものが沢山あるので、何がマラケシュの名産なのか結局わからなかった。とにかくなんでもそろっている。ただ、地方の名産のものはその地で購入した方が少し安く買えるそう。カサブランカも大都市であり、同じような傾向があるそうだ。

 

 

モスクは同じ町でも全然違うし、町が変わると全然デザインも変わる。美しいデザインとモザイクに魅了された。どのモスクもその町のシンボルであり、誇らしげに立っている。ここはピンクベースに青緑の差し色がとても綺麗。この町では、ヤシの木よりも高い建物は立ててはいけないそうで、建てていいのはモスクだけだそう。その考えはとてもモロッコらしくて好き。【クトゥピア】

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大好きな遺跡!!!!

メディナ付近の詳細不明の遺跡。普通に日常の中にあるのは、とりあえず何でもとっとくモロッコ人だからこそ。流石。
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これはマラケシュで有名な門。夕方が赤く染まって美しいそうだが、少し早かった。こちらの日没はだいたい20時以降。日本から考えるととても遅い。【アグノゥ門】

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【サアード朝の墳墓群】サアード朝時代のスルタンが葬られているそう。その家族もいるようで、あちこちお墓だらけでしかも、美しい。今の時代のお墓とずいぶんデザインも違う。肉眼でみると言葉を失うほどの美しさとモザイクの細かさ、とても神秘的であった。アラワィ朝ムーレイ・イスマイルが壁で覆ってしまったため、1917年に空から発見されるまで、その存在は隠されていたそう。3つの部屋と庭があった。

※現在のモロッコは王政のため、スルタンはいません。

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有名なフナ広場では、おいしいオレンジジュースをいただきました。安全管理を考えるとカメラを出すことができませんでした。有名な蛇遣いも。

 

道中の電車の中でコンパートメントが一緒になった家族はバカンス帰りのようで、私が「その帽子かぶってみたい」といったら、最終的にはベルベルの衣装を私に着つけてくれました。彼らはとても陽気な家族で、音楽をかけて、歌って、パンを食べて、笑って、また歌って、と楽しかった。知らぬ間に到着していた。

正面からはみぐるしいので、横からのベルベル衣装のショットを。横からで充分に顔と頭の激しさは伝わるかと思われます。
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 こんなにクッキーをくれたり。
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とっても暖かいモロッカン。

ありがとう。活動でちゃんと返すよ。

外の街に出てみるのも楽しいけど、やっぱり自分の家の近所が一番落ち着く。気が付けばホームになっている。

気が付けば半年を迎えようとしている。それば、1/4終わろうとしているということ。

静かに焦る。でも焦ってもいいことないけんね。

周りに振り回されることなく、マイペースが一番。

 

続く。

しんぱいごと

JICAの試験を受ける前から、思っている。

2年間海外にいる間、もしも何かがあったら。自分の場合もあるし、私の大切な人かもしれない。

しんぱいごとは尽きない。

でも、未来のことは誰もわからない。

 

1つだけ願いが叶うなら、みんなが異なる文化や習慣を持つ人たちに興味をもって、お互いを尊重しながら認め合える世の中になってくれたら。

 

みんな、自分のことばかり考えるから、対立するのに。でも、ここにいる日本人たちでさえ、自分の都合が大きい人もいる。同じ文化習慣を持つ日本人同士でさえ、対立はある。

無力である。

 計画書を作った。

私の思いが、モロッコに少しでも届くといいなぁ。

とりあえず、今モロッコで私ができることを私の考えられることを少しずつやるしかない。無力である。

 

 


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Karmetの刺繍組合の方が作ったコースター。1針ずつ、1針ずつ、彼女たちの思いが込められてる。見ているだけで心が暖かくなるから、部屋に飾っている。

 

続く。