なぜ、カウンターパートとの関係づくりに苦慮する必要があるのか?

表題にある通り。

よく、協力隊関係者やOVの方々から「カウンターパートとの関係を良好にすることで活動がうまく行くようになる」とか「カウンターパートとの関係を大切にした方がいい」という意見や話をよく聞く。

 

私にとってそれは教授であり、彼女は大変多忙であり、現実的に活動のパートナーになってくれるのは看護長。

勿論、大切にするし、したいと思うし、彼女の医療に対する情熱をとても尊敬している。でも、どうして私が彼女のことを大切にする必要があるんだろうかと考えるとどうしてもしっくりこなかった。確かに彼女が私によい印象を持ってくれたら、いろいろやりやすくもなると思う。それが結果的に赤ちゃんや家族のためになることは勿論だろう。 正直、今の段階で私と彼女が良い関係とは思えない。話も聞いてくれないし、意見を伺っても教えてくれない。彼女にとってのボランティアとは、ただ長めにいる研修生程度の感覚なのだと感じている。それ以前の問題として、教授に話をする内容の了承を看護長たちになかなか得られない。看護長たちさえも、忙しいからとなにも聞いてくれないし、教えてはくれない。

全てスタッフづてで、だいたいの情報を得ている。またポジティブに捉えれば、末端のスタッフよりも知的レベルが高い分、色々と警戒心やプライドもあり、私とベタベタしにくいという内心もあるのかもしれない。そして、ポジティブに捉えれば、スタッフとの関係づくりは比較的良好であるともいえる。医師、看護師、研修生、清掃スタッフ、倉庫担当、などなどの各方面のスタッフに好印象を持ってもらえており、「君はいい子だ」と言ってくれる人もいるし、「どうして、彼女とはセルフィーしたのに私と撮ってくれないのよ‼」とか言ってくれるスタッフもいる。本当に幸せである。

きっと、自分を受け入れてくれる人がいる場所があることは、相当恵まれて幸せなんだろう。

 

私が、苦慮してまでカウンターパートとの関係づくりに力をいそしむべきなのだろうか?いや、どうしてそこに悩まなくてはならないんだろうか?

と、ふと疑問になった。

ただでさえ、生きているだけで、多少ストレスを抱え、日本よりも疲れる。

その上、私がカンターパートとの関係づくりに力を尽くしてどれくらい赤ちゃんと家族にフィードバックできるのだろうか?もともと、私に与えられた時間は2年しかない。関係が良好だとしても、末端のスタッフたちが、私のことを良く思ってくれなかったら、いくら教授が言ったって、「教授の前ではやるけど、いないときはやらない。」という、いつものパターンになることが眼に見える。

 

もし、教授の了承がないとフィールドに行けないタイプの派遣の隊員はカウンターパートは命綱になりかねない。でも、ポジティブに捉えれば私はたとえどれだけ関係が悪化しようと、彼女たちが私に「もう病院に来ないでくれ」と言わない限り(人手不足のため現実的にあり得ないが…)、私は朝の8時から夕方の16時まで病棟にいられる。その中で、看護師や医師と関わり、赤ちゃんやお母さんたちと関われる。

 

そこにストレスを抱える必要があるくらいなら、一人でも今いる赤ちゃんたちやお母さんたちに「どう?元気?赤ちゃん可愛いね。少しずつ大きくなるから大丈夫だ」と、声をかけていったほうがいいのではないかという考えも出てきた。

 

そのことに気づいたら、非常に楽になった。

たぶん、国際協力の一般的な手法では…とか考えだしたら、私は正しい方法をとっていないであろう。でも、今、私が可能な最大限パフォーマンスを可能にするためには、いかに減らせる限りのストレスを減らしながら、力を注ぐべきは、これからモロッコで長く生きていくであろう、赤ちゃんとそのお母さん、若いスタッフ、若い医者たちにアプローチして少しでもいろんな可能性があることを知ってもらった方がいい。

 

仕事ではないから、結果が数字で出せなくても、研究結果がでなくてもいいのだ。ポジティブに捉えれば…私の活動が眼に見えなくても、モロッコの人たちに伝えたくて大切にしたいことをコツコツ2年間やっていくスタイルでもいいではないかという結論に至った。

 

いろんな意見を聞いて、多少その意見に振り回されることもあったが、現場にいるのは私だし、実際に活動するのは私なので、意見を聞いても自分の思うとおりにしようと決めた。

 

※カウンターパートとは、JICAのJOCV,SVにとって活動のパートナーとなる人のことです。 

f:id:kei-iinuma:20170912031443j:plain

 

続く。

卒業パーティ

医師免許取得後に、新生児のエキスパートの研修のために、医師が研修に来ていたが、この度をもって卒業となったそうだ。

8か月間、当院で研修していたとのこと。時には教授の罵声を浴びたり、思うように赤ちゃんの経過がいかずに、悲しい思いをしたことも数知れず。ラマダーン中は倦怠感で朦朧とする意識のなか必死でケアしたり…

そんな彼女たちが卒業していくため、お菓子とジュースでパーティをした。

日本では考えられないが…病棟フロアの中にテーブルとお菓子、ケーキ、ジュースを用意し、みんなでおしゃべりしながらいただく。その間、面会は中止して外で待っていてもらう。モニターのアラームはいつもの如く鳴り響いているが、ここではアラーム対応よりも、みんなの労をねぎらいあう方が優先。私も一緒にお菓子とジュースをいただく。病棟に入ってすぐに良くわからない頃に、不安そうな私に英語でいろいろ教えてくれた優しい女医さんたち。彼女たちがいなくなるのが本当に寂しい。彼女たちにとても救われて過ごしてきたことを気づかされる。

彼女たちが、今後モロッコの子どもたちの健康を担う立派な医療者になることを願うばかり。

10年後、30年後が楽しみである。みんな、おめでとう。そして、ありがとう。

一気には変われない、きっとこの国のペースで少しずつゆっくり良くなっていくだろう。

 

また、新しい医者がくるだろう。

気持ちを切り換えて、全ては赤ちゃんと家族のために。

 

f:id:kei-iinuma:20170912022847j:plain

 

続く。

عيد الأضحى 、Eid ul-Adha 羊犠牲祭

犠牲祭。

※※※   下の方にややグロテスクなものがあります   ※※※

 

イスラム教の行事であり、家族で集まり、生贄を捧げ、とさつし、家族みんなでそのお肉をいただくという行事。全てのムスリムが行うが、地域によって生贄の動物は異なるが、モロッコの私の住んでいる地域では羊がオーソドックスである。お金持ちはラクダを買ったり、お金のないものは鶏にしたり、他は馬だったり、ヤギだったりするそうだ。

前後一週間程度の期間は、みんな忙しそうにしている。あちこちの家から羊の鳴き声が聞こえ、バーベキューセットがお店で売られ、餌用のわらも売られており、お店も締まっていることが多い。都市部に出稼ぎしている人も、地方の田舎へ帰って過ごすそうだ。帰省混雑もあり、電車もとても混んでいた。

日本のお正月のような雰囲気だと教わった。確かに納得する。家族そろって、田舎へ帰り食事をする。そして、動物をとさつして解体するというイベントがある。

 

イスラム教のイベントは少なく、有名なラマダーンとそこまで日本人になじみのない羊犠牲祭の2つが主。

 

 

折角だから、どこかの家で羊を裁くところを見せてもらいたいなと思い、家を出る準備をして家の鍵を閉めている途中に、一人の男性が階段を上ってくる。「羊、まだ?やるところみたいんだけど?みられる?はじめてのイードなの!」というと、快諾してくれた。アッツィをごちそうになり、その家の4歳の男の子とスーパーマンVSスパイダーマンの戦闘ごっこをひたすらするという体力勝負も予想外なこともあったが、ヒツジさんがさばかれ、手際よくあっという間に解体され、バーベキューとなって出てくるところまでご一緒させていただいた。

 

男の子も、ヒツジにいい子いい子して頭をなでていた、とさつの現場も周りを走り回ったりしながらもその様子を見ていた。そして、さっきいた羊さんだと彼の中で一致していないだろうがヒツジさんのお肉をもぐもぐ食べていた。彼はどう感じているのだろう。

去年のイードを体験した日本人は、今年はこりごりだという人もいれば、イードのお肉は新鮮で美味しいから、家々を梯子しまくって、食べまくるという日本人まで様々。

 

私も、ジンギスカンはいまいちかなとおもっていたのだが、イードのお肉はとっても美味しい。私が美味しい美味しい言ってすごい勢いで食べるもんだから、その家族は、これも食べなこれも食べなと自分のくしを私のお皿に置いてくださった。モロッコ人は、とっても暖かい。

 

田舎ではとさつから解体まで全て家で行うことが多いそうだが、最近は解体業者を予約して、業者が回ってきたタイミングで、とさつするそう。

でも、家長が「ビスミッラー(神様に感謝して始める)」といいひつじさんをとさつするというのは、伝統のようだ。

 

 

 

たぶん、自分の仕事柄、多少グロテスクなものを見ることに慣れていることもあり、もともとなんでも食べものはすべて命をいただいていると認識して食事をしていることもあり、あんまり抵抗はなかった。でも、鳥をしめて買うのにも抵抗があるというこっちの日本人もいる。でも、その気持ちもわかる。

でも犠牲祭のあとから、いただきます「ビスミッラー」の言葉の重みも変わった気がする。

 

家のなかが血まみれになるのは大変なので屋上や庭を使うことが多いらしい。

 

この子、オスの羊さんでした。

f:id:kei-iinuma:20170903054420j:plain

 

業者さんに抱え込まれポジションを整えて今からビスミッラーで始まります。

f:id:kei-iinuma:20170903054751j:plain

 

首の太い動脈から十分に血を出し、息を引き取ってから、頭と毛の処置などをして、内臓などを取り出していきます。とてもスムーズでした。

 既に町で売られているお肉の固まりと同様の状態まですんでいます。

f:id:kei-iinuma:20170903054717j:plain

 

初日は内臓を頂き、他の部位は、一日寝かして熟成させてからいただいたり、1週間前後、ヒツジのお肉を食べ続けるそう。

 

 

途中、日本人はどうやってご飯を食べるんだ?と聞かれ、お箸をつかうんだと伝えるとみんながお箸の練習をしてヒツジを食べていた。 モロッカンなかなか器用である。確かに、刺繍やらペンキ塗りなら、ものの修理やら、器用さを感じることは沢山ある。

f:id:kei-iinuma:20170903055913j:image

 

とさつから、ランチのご馳走まで、感謝。

そして、食後も4才児との戦闘ごっこ、サッカー、風船落としちゃダメゲーム、おいかけっこ、「ゴーン、ドーン、シューン」と効果音付きの戦いは永遠。疲れすぎた。

 

どうりで、ランチの時にお腹すいていたんだ。子どもとひたすら遊んでたからだ‼

 

奥さんがお寿司好きよと言っていたから、今度作って持っていこう。

 

続く。

marrakech

仲間から「おいでおいで‼」とずっと言われていたにも関わらず、なかなか気力と体力がなくて行けていなかったのだが、ついにマラケシュへ行ってきた。

久しぶりの仲間との再会に癒される。奥様がモロッコにある食材や日本から持参した食材を駆使して、和食を作ってくださった。みんなそれぞれの任地でそれぞれの苦しみを抱えながら頑張っていると思うと、そう簡単に弱音をはいている場合でないぞと、自分を奮い立たせるきっかけとなった。もてなして下さった夫婦が本当に素敵だった。

 

マラケシュの夏場は40℃を切ることがない日が続くほど暑く…50℃越えもざらに…

そんな中私の行った日程は30℃代が続いた日。本当にラッキー。

それでも、日向を1時間と歩くと、信じられないほど疲れ、昼寝せずにはいられない。気温がそんなに高くないから大丈夫だろうと高をくくっていたが、太陽にあたるだけでも疲れるほどの日差しの強さのようで、現地の人たちも常に日陰を探しながら歩いているそうだ。同じ国内でも首都とマラケシュは全然違う。

マラケシュは観光地であり、欧米人の外国人がバカンスで来ていることが多い。欧米人がたくさんいて、店番の人たちも私たちに対して英語で話しかけてくる。また、日本人という認識も首都よりも大きいようで、中国人よりも日本人として認識され「こんにちは、おいで、安いよ、さよなら、だいすき」などと言ってくる。日本語の語彙が多くて思わず笑ってしまう。その上彼らは、首都では信じられないほど積極的に声をかけてくる。話し出すと10分15分ざらに過ぎてしまう。首都は、やる気なさそうに店番をしている人がいてなかなか話しかけてくる人もいるがこんなに多くはない。

また、マラケシュはバイク使用率が非常に高かった。みんなバイクで移動している。そして運転が信じられないくらい荒い。よくあの運転で人をひかないなと感心するが、たぶん事故は多いだろう。

観光地であり、外国人からはしっかりとお金をとるという文化が根付いているようで、タクシーのるにも、だいたい3倍値から値段交渉スタート。なぜならメーターをなかなか使ってくれない。アラビア語で話しても、強気の高値でぐいぐいくる。首都の人はとても穏やかだし、メーターをちゃんと回して正規の値段で乗せてくれるので、焦る。

マラケシュメディナで買い物をしようにも、観光客扱いのため、2~3倍値から交渉開始。首都のメディナでも最近そんなにぼられることはなくなった。もしかしたら私が我が物顔だからかもしれない、あと、余計なものを買わないからかもしれない…マラケシュでは私は観光客。それはそれで、交渉のやり取りも楽しい…結局道端でかわいいデザインに魅せられて、靴を一足購入してしまった。

ロッコにはその地域ごとに伝統的なデザインや模様や名産があるので、きっとマラケシュの伝統的なデザインなどがあるのだろうが、各地方からマラケシュに運んできて売っているものが沢山あるので、何がマラケシュの名産なのか結局わからなかった。とにかくなんでもそろっている。ただ、地方の名産のものはその地で購入した方が少し安く買えるそう。カサブランカも大都市であり、同じような傾向があるそうだ。

 

 

モスクは同じ町でも全然違うし、町が変わると全然デザインも変わる。美しいデザインとモザイクに魅了された。どのモスクもその町のシンボルであり、誇らしげに立っている。ここはピンクベースに青緑の差し色がとても綺麗。この町では、ヤシの木よりも高い建物は立ててはいけないそうで、建てていいのはモスクだけだそう。その考えはとてもモロッコらしくて好き。【クトゥピア】

f:id:kei-iinuma:20170903033445j:plain

 

大好きな遺跡!!!!

メディナ付近の詳細不明の遺跡。普通に日常の中にあるのは、とりあえず何でもとっとくモロッコ人だからこそ。流石。
f:id:kei-iinuma:20170903041553j:image

 

これはマラケシュで有名な門。夕方が赤く染まって美しいそうだが、少し早かった。こちらの日没はだいたい20時以降。日本から考えるととても遅い。【アグノゥ門】

f:id:kei-iinuma:20170903033642j:plain

 

 

【サアード朝の墳墓群】サアード朝時代のスルタンが葬られているそう。その家族もいるようで、あちこちお墓だらけでしかも、美しい。今の時代のお墓とずいぶんデザインも違う。肉眼でみると言葉を失うほどの美しさとモザイクの細かさ、とても神秘的であった。アラワィ朝ムーレイ・イスマイルが壁で覆ってしまったため、1917年に空から発見されるまで、その存在は隠されていたそう。3つの部屋と庭があった。

※現在のモロッコは王政のため、スルタンはいません。

f:id:kei-iinuma:20170903034026j:plain

 

f:id:kei-iinuma:20170903034019j:plain

 

有名なフナ広場では、おいしいオレンジジュースをいただきました。安全管理を考えるとカメラを出すことができませんでした。有名な蛇遣いも。

 

道中の電車の中でコンパートメントが一緒になった家族はバカンス帰りのようで、私が「その帽子かぶってみたい」といったら、最終的にはベルベルの衣装を私に着つけてくれました。彼らはとても陽気な家族で、音楽をかけて、歌って、パンを食べて、笑って、また歌って、と楽しかった。知らぬ間に到着していた。

正面からはみぐるしいので、横からのベルベル衣装のショットを。横からで充分に顔と頭の激しさは伝わるかと思われます。
f:id:kei-iinuma:20170903041210j:image

 こんなにクッキーをくれたり。
f:id:kei-iinuma:20170903041524j:image

 

 

とっても暖かいモロッカン。

ありがとう。活動でちゃんと返すよ。

外の街に出てみるのも楽しいけど、やっぱり自分の家の近所が一番落ち着く。気が付けばホームになっている。

気が付けば半年を迎えようとしている。それば、1/4終わろうとしているということ。

静かに焦る。でも焦ってもいいことないけんね。

周りに振り回されることなく、マイペースが一番。

 

続く。

しんぱいごと

JICAの試験を受ける前から、思っている。

2年間海外にいる間、もしも何かがあったら。自分の場合もあるし、私の大切な人かもしれない。

しんぱいごとは尽きない。

でも、未来のことは誰もわからない。

 

1つだけ願いが叶うなら、みんなが異なる文化や習慣を持つ人たちに興味をもって、お互いを尊重しながら認め合える世の中になってくれたら。

 

みんな、自分のことばかり考えるから、対立するのに。でも、ここにいる日本人たちでさえ、自分の都合が大きい人もいる。同じ文化習慣を持つ日本人同士でさえ、対立はある。

無力である。

 計画書を作った。

私の思いが、モロッコに少しでも届くといいなぁ。

とりあえず、今モロッコで私ができることを私の考えられることを少しずつやるしかない。無力である。

 

 


f:id:kei-iinuma:20170829072425j:image

Karmetの刺繍組合の方が作ったコースター。1針ずつ、1針ずつ、彼女たちの思いが込められてる。見ているだけで心が暖かくなるから、部屋に飾っている。

 

続く。

メクネス、ムーレイドリス、カルメット

三連休を利用して、看護の先輩隊員さんに声をかけてもらい、フェズ刺繍組合のお買い物ツアーに行ってきた。

私にとって、初めての首都脱出。初めての電車。初めてのグラタク(グランドタクシー:長距離移動用のタクシー)、初めての外泊。素敵な人にも出会えて、初めて尽くしの最高の旅行であった。

首都メクネス間の電車の車窓からの風景は、一面のオリーブ畑、牛や馬、ヤギ、ヒツジの放牧。まっさらな大地が広がっており、首都とのギャップがとても大きい。

f:id:kei-iinuma:20170822055028j:plain

f:id:kei-iinuma:20170822055011j:plain

3時間ほどで、メクネス駅に到着。何もしないで立っているだけで汗が流れるほど暑く、太陽の光が強くて眼が痛く、サングラスが外せない。日中は外に人がいない。暑すぎるので日没後から動き始めることが多いそう。

f:id:kei-iinuma:20170822054950j:plain

f:id:kei-iinuma:20170822055003j:plain

 メクネスの町を案内してもらい、他ではなかなか見つけられないデザインのバブーシュを発見。今までなかなか買い物をしてこなかったし、とっても気に入ったので思いきって、購入。

 


f:id:kei-iinuma:20170823075407j:image



翌日には、メクネスからグラタクを
Moulay Idriss Zerhoun مولاي إدريس زرهونムーレイドリスという町で乗り継ぐ。

 

Karmet Ben Salemカルメットという村へ向かった。そこに村で女性たちの刺繍組合の支援をしている日本人の女性と出会い、村で刺繍づくりをしているリーダーの女性の家で刺繍の商品を見せていただき、日本人女子四人で仲良く買い物。家でランチをいただいた。

そこで作られている刺繍は、すべて手作業!!!!

とても美しい伝統的な柄がある。コースターやきんちゃく袋、赤ちゃんのおくるみ、ストールなどなど。とっても可愛くて、本当に美しい。

 

ここでは、水道は、毎日決まった1hしか水が出ないため、その時間に水をためたり、夏場は外は40℃越えで外に出られなかったり、冬場は凍結するほど冷え込んだりして、生活環境はとても厳しい。

水をくんでロバに運ばせたり、自分達で家畜を育てて、その日暮らしで自給自足に近い生活をしているそう。

女性たちはその忙しい家事の合間を ぬって、製品作りをしているとのこと。近頃は機械で作るものが安く売られるようになり、手作業の刺繍を作る人が減ってきてしまっているとのこと。

私達日本人がくるからと製品を急ピッチで作ってくれたそう。とっても嬉しい。

出来上がった商品のほとんどをみんなで買い占めてしまいました。犠牲祭前なので、村の女性たちは、まとまったお金もほしい時期であり、とても喜んでもらえた。私達は、可愛いお土産が買えて嬉しい。

みんながハッピーになれた。

とても嬉しい。

f:id:kei-iinuma:20170823074745j:image

コースター
f:id:kei-iinuma:20170823074836j:image

 

 

 犠牲祭前なので、羊が!!!!

 f:id:kei-iinuma:20170823075528j:image 

 こっち向いて~っていったら、「めー!!!(なんだよ~)」と言われ、あとにしようとしたら、もう一度「めー!!!(帰るのかよ~)」と言われた。

 

 Moulay Idriss Zerhoun مولاي إدريس زرهونムーレイドリスという町。ここは聖地。数十年前まで、ムスリム以外は入れなかったそう。毎年8月には、ムッセムというイベントがあり、巡礼に沢山の人が集まるそう。坂ばかりで歩くのは本当に大変だが、とっても素敵な場所。

f:id:kei-iinuma:20170822054936j:plain

f:id:kei-iinuma:20170822054941j:plain

 ムーレイドリスにすんでいる日本人女性にとっておきの場所に案内してもらう。

 

色々なお話を聞いて、この数ヵ月の反省するとともに沢山の学びを得た。

 

ラバトで息詰まってた私にとってかけがえのない時間となり、とても贅沢な旅だった。これから先、この三日間を忘れないだろう。

カルメットの村も本当に素敵だった。

また、村の女性たちに会いに行きたい。

ムーレイドリスもとても素敵な場所だった。今度は昼間にも行きたい。

 

必ずまた、帰ろう。

気持ちを切り替えて、自分に与えられた仕事を頑張ろう。

 

つづく。

大興奮の納豆

私と親しい人たちの間では、私がとても食いしん坊で、パンよりお米派であることは有名なこと。「私と言えば、お米」と何人かの女友達に言われている…恐ろしい代名詞を頂いたのである。

定食などを注文するとしても、ご飯の大盛無料なら大盛にするし、おかわり自由なら、おかわりしていた。

 

ロッコでもお米は売っているし、日本米に近い品種のものもあり、たぶん他国よりも質の高い和食を食べて暮らせるのだろう。でもモロッコでは、主食はパンが主流であり、ご飯の付け合わせになるような食事があまりなく、最近ご飯から遠くなっていた。パンにオリーブを挟んでオリーブオイルにつけてたべるのが最近のブームである。美味しくていくらでも食べられる。

 

日本にいたときにモロッコへ来るための準備として、生活道具の処分したり、モロッコの食生活を見据え生活改善したなかで、たぶん自分しかしてないであろうことが、2つある。

 

お米を鍋で炊くこと。

納豆を食べずに生活すること。

 

炊飯器がなくてもお米があるなら、ご飯を食べたい。そして、より美味しくご飯が食べたい。そのために訓練しておく必要があると考え、約1ヶ月間土鍋でご飯を炊いて練習した。

結果的には、一回目で芯が残り、二回目で下が焦げて、三回目で大成功であった‼そして、その土鍋ご飯が美味しいこと‼

炊飯器で炊くよりも早く出来上がるし、断然美味しいし、もっと早くこの美味しさを知っていれば…と思うほど。

 

納豆は、もともと大好きで、3パックセットになったものを買っても一日家にいたら、毎食納豆を食べて一日で無くなってしまうこともあるほど、納豆に依存して生きてきた。

お米が手にはいったとしても、納豆は厳しい。(大豆があるから、作ろうと思えば作れることをあとになって知った。)

 

一人暮しの最後は家の中でキャンプをするような生活。早々に布団を実家に送ってしまったため、家の中で寝袋で寝ていた。夜勤の仮眠ベッドのマットレスが快適過ぎてうっかり寝過ごしてしまったり…そうすると、寝袋よりも寝心地よかったんでしょ?と同僚に笑われた。

 

納豆を断つための訓練をするほど納豆を愛してやまない。訓練が必要だと認識してからもどうしても食べたくなり、ついつい欲に負けて買ってしまったりもして、こちらの事前訓練は難航した。

 

そんな私が、実際に納豆を断ってはや4ヶ月。幸運にもおかめ納豆と感動の大興奮の再会を果たした。

 

そう!!!!この パッケージ!!!!
f:id:kei-iinuma:20170817065714j:image

 そして!!!!この タレ!!!!

f:id:kei-iinuma:20170817065724j:image

 おかめ納豆をこんなに喜んで写真を撮る日本人は、一体どれくらいいるのだろうか。

私の大興奮は、たぶん他の人の共感を得ることはないだろうが、納豆に大興奮なのです。

 

感無量です、これこそ、納豆。

こっちの人たちは日本食=寿司!!!!

と言うけれど、私にとっては、これこそ真の和食。でもこの感覚は東日本出身の人だけなのでしょうか?

f:id:kei-iinuma:20170817065935j:image

 

日本を出る直前に突然母が「これ、もらったから持ってきな」と持たせてくれた海苔を投入!!!!
f:id:kei-iinuma:20170817070022j:image

 

先日の味噌も投入!!!! キャベツの味噌汁を作成。

 

全て、この日に納豆が来るのを待っていたのではないかという和食の完成度の高さ!!!!

 

ご飯を炊いて納豆をのせる‼!!!!

f:id:kei-iinuma:20170817070233j:image

 

海苔にご飯をのせ納豆をのせ、贅沢にも口いっぱいにほうばる。一番好きなご飯の食べ方がまさかモロッコで出来るなんて…

納豆がこんなに美味しいなんて‼‼

納豆はどうしてこんなにも美味しいのか。この味を、この食感を、なぜ美味しいと感じるのか日本人!?

30年近くかけて染み込まれた、美味しいと感じる味覚の感覚。

 

ご飯はやっぱり納豆と。

キャベツの味噌汁って、どうしてこんなにキャベツが甘くなるのだろう。

 

ご飯、約2合程をたいらげる。

美味しい。

幸せをありがとう。日本人でよかった。

 食後も、体の中に納豆ご飯とお味噌汁があると思うだけでなんだか幸せを感じる。

 

続く。